<97>水着の女の子の写真に全部、名前と電話番号がついているワケ

【天才アラーキー傘寿を語る】#97
これ、『水着のヤングレディたち』って言うんだけどね。まだ電通に行ってた頃だよ(1971年)。江ノ島の海で撮った300人の女の子の写真を並べて本を作ったんだよね。
1日で撮って1冊作ったんだけど、枚数を集めるのに一人じゃダメだろ、手分けしないとね。オレも他力本願だから、「ゲリバラ」のみんなに頼んじゃうんだよ(1970年に電通の仕事仲間3人と「ゲリバラ三銃士」を結成。「ゲリバラ」は、ゲリラ、ゲバラ、下痢腹よりネーミング。ゲリラ的な活動を拡大していった。翌年に2人が加わり「複写集団ゲリバラ5」となり、写真展や写真集を刊行)。
海からあがってくる女の子に声かけて、「ハイ! キレイ!」って、みんな撮っちゃうんだよ。“水もしたたるイイ女”と言ってさ(笑)。ゲリバラのみんなと海に行って、「おまえは何地区」って分けて、「いいか、海からあがってくる女の子を、みんな撮れ」ってね。
「絶対に電話番号を聞こうぜ、聞くんだぞ」って言って、撮りまくったんだよ。だから、写真に全部、名前と電話がついてるだろう? 聞いた電話番号を書いちゃってんだね、名前も。
寺山修司が「これは面白い、続けろ」と手紙をくれた
![「水着のヤングレディーたち」(1971年撮影、「ARAKI by ARAKI」[2009年刊])](https://5541e23e49e966345177fb232be848b9.cdnext.stream.ne.jp/img/adult_article/000/018/569/9fcc5cd5eef5547ea732aa8d3779270020220805170302713.jpg)
あとで、「電話番号の半分は本物だった」って、寺山修司さんが言ってたんだよ。あの人、これ見て、女の子たちに電話したんだって。そしたら、半分ホントだったって、電話とか名前がね。イイよね~、寺山修司って。
寺山さん、『ゼロックス写真帖』の頃から(1970年、連載20に掲載)、「これは面白い、続けろ」なんて手紙を毎回くれたんだよね(1935年青森県生まれの寺山修司は、劇作家、映画監督、詩人、歌人、作詞家など様々なジャンルで活躍。演劇実験室「天井桟敷」を主宰。1983年に47歳で死去。荒木は寺山の写真の師と言われる。1972年、電通を辞めた荒木に寺山から写真を教えて欲しいと電話があり、3回の個人教授を行っている)。
(荒木経惟/写真家 構成=内田真由美)
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