ラモス瑠偉さん「勝手にシンドバッド」で1年間出場停止処分も前向きになれた

更新日:2019-07-28 17:03
投稿日:2019-07-28 17:00
ラモス瑠偉さん(撮影・長野記子)
ラモス瑠偉さん(撮影・長野記子)

「勝手にシンドバッド」サザンオールスターズ

【私の人生を変えた一曲】

 19歳のときにブラジルで(与那城)ジョージさん(サンパウロ州出身の日系2世。1972~85年に読売クラブでプレー。85年に帰化。元日本代表)にスカウトされて、77年4月に来日しました。20歳でしたね。サッカーでお金をたくさん稼ぎ、ブラジルで苦労している母親を助けたい一心でした。

 でも、着いてすぐにヒドいホームシックにかかりました。ブラジルが恋しくて泣いていたら、チームメートの松木(安太郎=現・解説者。東京ヴェルディの監督など歴任。元日本代表)が、オフのたびにフォルクスワーゲンのビートルでやってきて遊びに連れ出してくれ、これがメッチャ気分転換になりました。

 その松木に連れて行かれたホームパーティーで松木の友人がギターをかき鳴らし、歌っていた曲がスッと耳から入り、胸にグサッと突き刺さりました。翌日、シングルレコードを買ってくれた松木が、歌詞の内容も丁寧に教えてくれました。

 それが河島英五さんの「酒と泪と男と女」(76年6月リリース)。日本で初めて心に響いた曲です。

リオの海岸に漂ってくるにおい

 それから……1年後でした。日本でサッカーができなくなり、失意のドン底にいた私の耳に飛び込んできた曲に大きな衝撃を受けました。リオの海岸に漂っている<におい>も感じられ、ムシャクシャしていた気持ちがパッと晴れました。
♪ラ・ラ・ラ~ラララ・ラ・ララ~ ラ~ラ・ラ~ラララ・ララ・ラ~♪

 サザンオールスターズさんの「勝手にシンドバッド」(同78年6月)です。

 ――78年1月の日産自動車(現・横浜M)戦。ラモスのファウルを相手選手がオーバーに痛がり、レッドカードの一発退場となった。すると相手がニヤリ。これを見て激怒したラモスはグラウンド中を追いかけ回してしまい、1年間の出場停止処分という重い処分が下された。

 サッカーをやりたくてもできないし、そもそも出場停止が1年間って長過ぎるじゃないか? 読売の外国人選手だから異例の長さなんじゃないのか? と不平不満は募るばかり。そこにラ・ラ・ラ~ラララ・ラ・ララ~だからね。一発でファンになっちゃった。暗い気持ちが消え去り、出場停止が明けたら頑張ってプレーしなきゃ! って前向きな気持ちになれた。

■プロとして世に出ていく仲間

 ――出場停止処分が解けるとラモスは好パフォーマンスを見せ、得点王とアシスト王のダブルタイトルを獲得した。そのころ、後に妻となる美大生・初音さんと出会い、84年2月にブラジルで結婚式を挙げるなど公私ともに充実した日々を送っていた。

 日本に来たばかりの私とデビューしたばかりのサザン。本物のプロとして世に出ていく仲間、同志みたいな気がしていました。

 翌年には大好きなバラード調の名曲「いとしのエリー」(同79年3月)が発売されました。桑田(佳祐)さんと会話を交わすようになり、彼の飾り気のない人柄に惚れ込み、気さくな由子夫人ともども完全にサザンのトリコです。

 ――86年から、前年に引退した与那城ジョージに代わって司令塔を任され、背番号10を背負うことになった。ソリの合わないブラジル人監督との確執だったり、外国人出場枠問題を解消するために日本への帰化を持ち掛けられたり、いろいろと思い悩むことが多かった。

 後輩の車のカーステレオから、徳永英明さんの「レイニーブルー」(同86年1月)が流れてきた瞬間、体中に電流が走りました。後輩にカセットテープを借り、朝から晩まで繰り返し聴きました。アレコレ悩んで疲れ切った心が、あのキレイなメロディーと彼のハスキーな声にどれだけ癒やされたことか! 

 京都でプレーしていたとき、コンサートに行って楽屋にお邪魔できることになりました。初対面のあいさつの後、いきなり2人でサッカー談議を2時間! 彼のサッカーに対する深い愛情がダイレクトに伝わり、本当に楽しい時間でした。

 思えば日本の曲に随分と助けられてきました。あぁ……カラオケ、行きたくなってきた!

▽ラモス瑠偉(らもす・るい)1957年、リオ生まれ。89年に帰化。日本代表32試合。98年11月に引退。東京V、岐阜で監督。2005年にビーチサッカー日本代表監督。09~13年に同監督復帰。18年からも同監督を務める。今年11月開催のビーチサッカーW杯パラグアイ大会に出場。

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