八王子の居酒屋社員で月給18万円、腰かけ学生バイトの尻拭いをする日常

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-07-06 16:52
投稿日:2024-06-08 06:00

【八王子の女・小林由紀44歳 #1】

 八王子は21の四年制大学・短期大学・高専があるという。

 全国でも学園都市として広く名が知られ、学生の数はおおよそ9万人。道を歩いているだけで、何かを学ぶ若者にぶつかる、そんな街だ。

「――すみません」

「ボーっと歩いてるんじゃねえよ、ババア!」

 小林由紀は、すれ違いざまに若い男から暴言を吐き捨てられた。

 その男もまた学生だろう。彼が持っていた大きなトートバッグから、カットマネキンが顔をのぞいていた。

 ――ババア…ですか。

 由紀は久々に自分の年齢を数えてみる。たぶん44歳くらい。

 30を超えてからは自分が何歳なのか、頭を働かさなければ答えられない。その数の大きさに改めて驚いた。

 今は、数字を重ねているだけの、繰り返しの日々だ。

18歳から20年、ありふれた光景が続く

「2番テーブル、ジョッキ3つお願いします」

 ユーロードの雑居ビル3階にあるチェーン居酒屋は、由紀の数少ない居場所だ。

 高校を卒業した18歳でアルバイトで入り、契約社員として10年目の副店長である。勤務歴は足掛け20年を超え、店では最古参である。

「鈴ちゃん、15番のお会計まだ? わかった、私が行く。え、友田君休み? そんなの聞いていないんだけど」

 その日は学生バイトの当日欠勤が2人出て、60席ほどのフロアを3人で回す羽目になっていた。ともに就職活動が理由だ。ひとりは面接、もうひとりは本命企業の最終面接が明日に迫り、準備のために休みたいということであった。

 ガチャーン!

 ――突然、フロアに皿の割れる音が響く。ヘルプで手伝ってくれていたキッチンの子がバッシング中にバランスを崩したようだ。

「大変申し訳ございませんでした!」

 他のフロアのスタッフたちと機械的に声を揃えて叫び、由紀はその後始末をしに向かった。

 これは、ため息も出ぬほどの、由紀のありふれた光景である。

ガクチカ、合コン…若者の話で疑似体験を楽しむ

「由紀さん、昼間にそんなことがあったんだぁ…。同じ美容学生として、ごめんなさい」

「謝らないでよ。鈴ちゃんは関係ない」

 閉店作業が終わった後のロッカールームで、由紀は、男に怒鳴られた件をぼやいていると、バイトの美容短大生・鈴音から丁寧に頭を下げられた。

 鈴音は彼女が高校生の頃から働いてくれている真面目ないい子だ。色白の黒髪ツインテールがトレードマークで、その愛嬌の良さで店長や地域のSV(スーパーバイザー)はもちろん、お客様からも人気の看板娘である。

「でもぉ…許せませんよ。私の由紀さんに!」

「ボーっと本を読んで歩いていた私が悪いから。買ったばかりの小説が待ちきれなかったの」

「え、何ですかその後出し情報。歩き本していたんですか」

「歩きスマホならぬ歩き本って…なにそれ!?」

 鈴音はキャハハと高い声で笑った。

 由紀は彼女に対して、年齢を超えた親近感がある。疲労感だけが募る毎日だけど、乗り越えることができるのは、バイトの子たちとのこういう交流があるからだ。

 サークルにシューカツ、ガクチカ、合コンにデート。

 由紀がしてこなかった経験を、生き生きと彼らは話してくれる。聞くだけで疑似体験をしているような元気が湧いてくるのだ。

一軒家で猫と暮らす日々

「ただいまー…」

 暗い玄関の明かりをつけると、ニャーと、ミゲルが由紀を出迎えてくれていた。

 すでに両親ともに亡くなっている由紀は、北島三郎の豪邸からほど近い住宅街の一軒家にひとり、猫のミゲルと共に暮らしている。

 明日の出勤はランチ営業前の11時。欠勤予定のバイトの子からシフトの穴埋め連絡はいまだ来ていない。そのまま通しで勤務することになるだろう。

 居間に出しっぱなしのコタツの中に身体を落ち着けると、眠気がガクンと襲ってきた。そのまま由紀はミゲルと共に目を閉じる。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


大人の「友達がいない問題」はスナックで解決!?常連同士が仲良くなるわけ
 みなさんは大人になってからできた友達、どのくらいいますか? 「言われてみればもゼロ」なんてこともあるのでは?  ...
自分の選択に誇りを持って。子どもを産まない理由、そして6つの決断
「DINKs」という言葉があるように、「子どもを産まない」ということが近年では夫婦の選択肢の一つとして普通になってきまし...
気高いオーラにゾクゾク! コワモテ“たまたま”の意外な素顔
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
お店で見かけたら幸運! 超レア「バードネスト」の正体は野良ニンジン!?
北海道出身の主人とは衣食住、風習や慣習など折に触れ、関東で生まれ育った者(ワタクシ)との違いを感じます。結婚当初は行き来...
銀座で“750円のみほ&時間無制限”の「AOU銀座の森」がまさかの改悪!?
 コロナ禍以降、基本在宅勤務な方も多いのでは? 出勤のわずらわしさから解放されるのはいいけれど、たまには気分転換をしたい...
Threadsで実感!「クソリプを送る人」は概ねコレ、主婦の心の闇は深い
 セックスレスやセルフプレジャー、夫婦の在り方などをテーマにブログやコラムを執筆しているまめです。  私はX(旧T...
階段道の“たまたま”君♡嬉しいスリスリ攻撃であわや転落危機
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
南アルプスのコントラスト【春】
 柔らかな陽の光、鮮やかな桃色、雪をかぶる南アルプス。  まだ少し冷たい空気と一緒に胸に入り込まれてしまう。
【難解女ことば】「湯湯婆」パソコンで変換できないかも…なんて読む?
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...
ぐはっ!金欠で焼き肉のお誘い…ギクシャクも翌日リスケも回避する断り方
 金欠の時、友達から飲みや遊びの誘いが入ると、どうやって断るか悩んでしまう人は多いはず。  断り方によっては、人間...
資格勉強中の彼。ウザイも既読スルーも回避!気遣い上級国民のLINEテク
 せっかくLINEを送ったのに、相手から返信が来ないと不安になりますよね。特に、LINEに気づいているのに既読スルーだっ...
脱力と見せかけて宇宙と交信中?くねくねコロンな“たまたま”
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
義母と喧嘩したら仲直りは?顔見ずLINEで「韓ドラで仲良くなりたい」
 義母と喧嘩してしまうと、とても気まずいですよね。  特に子供がいる家庭では、祖母としてこれからも付き合いが続くで...
何じゃコレー!モクモクの正体は開運の木「スモークツリー」♂♀どっち?
 GWが過ぎた5月中旬あたりから毎日無言の“圧”をかけ、見つめております。我が家のほっぽらかし園芸に植えられたアノ樹木を...
嘘吐きピンクローター
「知ったかぶり」という言葉がある。実際は知らないのに、知っているようなフリをすることだ。  知らなかったことを恥ず...
LINEで退職届は“フツーにある”と聞いてたが…辞めるの簡単すぎじゃね?
「退職する場合は1カ月前までに申し出ること」などと、会社ごとにルールが設けられている場合が多いですよね。でも最近は「今日...