「舐められますよ」年下女子からの目線が痛い
「お疲れさまでした」
レジ〆作業をしていた由紀の背中の奥に、鈴音の声が遠く聞こえた。いつもはお喋りにつきあってくれるが、今日はどこか急いでいるようだった。
「あれ、もう帰るの?」
振り向いて呼び止めると「はい」と、気まずそうにぺこりと軽く頭を下げて、すぐ去っていった。しかし、足取りは弾んでいた。
「金指さんとデートですって」
可愛らしいワンピースを着た美波がバックヤードから出てきて、どこかバカにしたような感じで言った。
「レディディオールを知らない大人になりたくない」
「今の時間から? 大変ね。でも、うまく行って欲しいね」
「どーせ、ヤリモクだと思うけど」
美波は不機嫌そうにフロアの席に座り、テーブルの上に小さなバッグを置いた。エナメルのキラキラした質感とエレガントな金具の輝きが高級感を醸し出すピンクのカラー。由紀はおのずと目を奪われた。
「バッグかわいいね。私もそういうの欲しいな」
「レディディオールですよ」
「レディ…?」
「レディディオール、何十万もします」
「へぇ…」
美波は、由紀を睨んだ。自分には無理だと、一瞬で由紀の心のシャッターが下りたことを察したのだろう。
「私みたいに努力すればいいんじゃないですか?」
「私はこのバイトとインスタの副業を頑張って、3カ月で買いました。メルカリですけど」
「あらすごい」
「欲しいなら、由紀さんも私みたいに努力すればいいんじゃないですか?」
美波はギッと由紀を捉えた。その鋭さに金縛りがかけられる。
「今日も思いましたけど、なんです? あんなFラン大学野郎に怒鳴られて悔しくないんですか? 他の客にも舐められますよ」
「ま…それが仕事だから」
「現状に疑問を持たないんですか? バッグが欲しいなら貪欲に、わがままになるべきです。私は、レディディオールを知らない大人になりたくないです!」
彼女への怒りはない。感覚が死んでいるのかもしれない
美波は言いたいことだけぶちまけて、店を出て行った。
意識高い誰かのトレースのような言い回しが気になる。ただ、あの時の自分の土下座に何かを感じてくれた美波はとてもやさしい子なのだと、由紀は胸があたたかくなった。
きつい口調であったが、彼女への反発心は一切起こらない。
感覚が死んでいるのだ。
それこそが、自分がいつまで経ってもこのままである理由なのだろうと感じていた。
【#3へつづく:何の感情も起こらない由紀だったが、ある日、ついに糸が切れてしまい…】
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