44歳独身、今からでも遅くない?ズル休み→大学進学を決めた“無敵の女”

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-06-08 06:00
投稿日:2024-06-08 06:00

私が影響を与えることなんて、ないんだ

 へたりと、誰もいなくなったロッカールームに座り込む。美波を思い、一日中、心に鉛を抱えていたことが馬鹿らしく思えてしまった。

 自分の存在が他人の行動に影響を与えるなどありえない。褒められもせず、苦にもされない人生なのだ。おこがましい被害妄想だった。

 由紀は立ち上がる気さえも起きない。

 ――もし、私がそんなことをしたらどうなる?

 たとえ衝動でも、非常識だとしても、自分の意志で道を選べる美波が羨ましかった。

 由紀は傍らにある彼女の置き土産を見た。大学のテキストである。

 美波は文学部で日本史を専攻している。歴史小説好きの由紀にとって、それは多少興味ある分野であった。

 由紀はなにげなく手に取り、ページを開いた。

初めての当日欠勤。由紀のなかの扉が開いた

 翌日、由紀は20年間で初めて、病欠以外で当日欠勤をした。

 理由は適当に取り繕ったが、正直なことを言うと、単に本が読みたかったのだ。

 美波が置いていった教科書は、由紀にとって衝撃の出会いであった。

 古代から戦国に渡る歴史を市井の風俗の視点から描いたその解説書には、愛読の歴史小説を読むうえで理解できずに読み流していた答えが全てあった。

 ひと文字ひと文字が脳に焼き付き、取り込むたびに体中の細胞が活性化されていくのが分かった。

 その先を、もっと見てみたくなった。何かの扉が開いたような感覚で――。

私は無敵なんだ。衝動の波に乗ろう

 由紀は社会人向けの大学受験予備校に入学を決めていた。

 資格系でも職業系でもない学問を今からおさめようとするなんて、バカげていると自分でも思う。しかし、青春を過ごせなかった惨めさが、この閉塞感の源なのだと、教科書を開いた時に気づいたのだ。

 幸い、コツコツためた貯金や、ほとんど手を付けていない親の遺産も多少ある。ミゲルと一緒に居られるなら、実家を手放してもいい。

 どうせ、自分はいてもいなくてもいい人間なのだ。衝動の波に乗って好きなように行動しても誰も気にはとめないだろう、と…。

 退職を申し出ると、あれだけ由紀を邪険に扱っていた店長の態度がコロリと変わり、何度も撤回を懇願していた。

 だが、もう知ったこっちゃない。

 糸が切れた由紀は、無敵だった。

あの店が閉店。その原因は…?

 翌年、春。

 由紀はめでたく大学の史学科に合格し、胸を張って女子大生としてユーロードを歩いていた。

「あれ?」

 目指す先は、以前勤務していた居酒屋だった。金指のように、OGとして凱旋し、あわよくばバイトとして雇ってもらおうとしていたのだが…驚くことに、その店は脱毛サロンに変わっていた。

 なんだ…。でも、閉店が決まる前に辞めていてよかった。

 由紀は胸をなでおろす。

 店を崩壊させた原因が、実は自分にあることを知らないままで。


――Fin                                                        

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


毎月誰かに「誕生日おめでとう」義家族グループLINEは面倒くさいの極み
 結婚した夫の母親から、ある日突然「家族のLINEグループを作ったんだけど、入ってくれるわよね?」と言われたら、あなたは...
梅雨に負けるな! ラブリー「たまたま7選」で元気チャージ♡
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 6月にご紹介したもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまた...
海外旅行と整形手術、そして私。
 久しぶりの海外旅行だ。まだ「コロナ」といえばメキシコのビールでしかなかった頃に、友人と台湾へ茶を飲みに行って以来である...
酒癖悪い夫の最悪エピ集「口臭いんですけどいつも歯磨きしてます?」
 酒癖の悪い夫を持つと、女性は苦労するもの。場合によっては周りに迷惑をかけてしまうため、夫の代わりに謝罪したり止めに入っ...
本当に防災対策してますか? 大切な人を守るために家庭でできること
 2024年元旦の石川県能登地方の地震は、まだ記憶に新しいですよね。日本のどこかで災害が起こると、一時的に防災意識が高ま...
【3COINS】梅雨シーズン突入! 全身汗ベタ40女を救う神アイテム3選
 6月21日、とうとう関東地方も梅雨入りしました。汗かき民としてはつらい季節の到来です。  代謝がいいのか、年齢的なも...
去勢手術直前! 驚きを隠せない少年“たまたま”キュートな瞳
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
きたきたきた遅刻常習犯の言い訳。お仕置きだべ!笑面虎な返信LINE3選
 世の中には、集合時間や出勤時間にいつも遅れてくる「遅刻常習犯」がいます。彼らは、反省している顔を見せながらも、何度も遅...
義母「昼ご飯何入れた?」嫁姑戦線!陰湿系から誤爆まで壮絶LINE10選
 嫁姑の関係は、昔から多くの人が悩んできた課題でもありますよね。大切な息子を取られた姑が同居の嫁をいびるなんて話は、星の...
地方組が「東京人は冷たい」と感じる5つの理由、人間関係ドライすぎない?
「東京人は冷たい」という言葉を一度は聞いたことがありますよね。東京で生まれ育った人にはわからないかもしれませんが、地方か...
かわいい要素が大渋滞! 困り顔にゃん相がたまらない“たまたま”
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
“70点の私”凄い!40代でやめてよかったこと6つ、手放したら生きやすい
 人はいろいろな経験をしながら成長していくものですが、40代というのはその中でも大きな節目です。子育て中に多くを学んだり...
呼ばれてる?
 群馬県にある天神山古墳。  東日本最大の前方後円墳だという。  何かの気配が漂っている。
ほっこり癒し漫画/第76回「長靴を履いたタロー」
【連載第76回】  ベストセラー『ねことじいちゃん』の作者が描く話題作が、「コクハク」に登場! 「しっぽのお...
「ジュウシマツ」漢字で書けますか? ヒントは「漢字3文字」
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...