「丁寧な暮らし」を望んでいたんだろうか
「今日は来てくれてありがとうね」
「うん。みんなに会えなくて残念だったけど」
もし、もっと賑やかであったら、彼女はお酒を飲んで代行で帰ったかもしれないし、心からの笑顔があったかもしれない。申し訳なさで、沙耶はコインパーキングまで彼女を送ることにする。
時間は夜の8時過ぎ。車通りは多いが、人は1人も歩いていなかった。
「本当に素敵な場所ね。波の音が聞こえてきそう」
「海は少し遠いから、気のせいだよ」
「そうなんだ。でも、Instagramにはよく海辺の楽しそうな家族写真を載せているから、てっきり海に近い場所なのかと思っていた」
暗闇の中で途切れ途切れに話題を探る。友人であれど、環境や生活リズムの違う彼女とは、SNS内の情報しか頼りはない。都内に住んでいる時は、しばらく会っていなくても話題に事欠かなかったはずなのに。
車に乗り込む彼女に、沙耶は無印良品の紙袋を押し付けるように手渡した。
「これお土産。うちで作ったぬかづけとパン」
「ありがとう。漬物は実は苦手なんだけど、チャレンジしてみるね」
針で刺されたような痛みがあったが、こんな場所まで来てくれる大事な友達だ。その言葉を亜紀なりの素直さと捉えることにする。
幸せなはずが…何かが失われている気がした
彼女のポルシェを見送りながらふと気づく。
実は、自分も漬物がさほど好きではないことを。
家族もぬかづけを喜んで食べているわけではない。しかし、義務的に漬けているのはなぜだろう…。パン作りもそう。近所には、おいしいパン屋さんがいくつもある。自分が作るものよりはるかにおいしいそれが。
ヨガ、ホームパーティー、Instagram、手作り。丁寧でのんびりした暮らしは、本当に心からしたいことなのだろうかと、自分に問う。
ライフステージのチェックボックスがすべて埋まり、充実しているはずの今の生活。だけどどこか、自分の中の大切な何かが失われているような気がしてならなかった。
【#2へつづく:夢の湘南「一軒家暮らし」で私が失ったのは何? 不便さの忠告に聞く耳持たず…腐っていく自分にゾッとする】
ライフスタイル 新着一覧