社長となった後輩に、悔しさすらない
沙耶自身、正直、追い抜かされた時は悔しかったが、今はもうなにも思わない。退職の理由は正真正銘、引越しと育児専念が理由だ。
亜紀は半年前に独立し、みなとみらいにオフィスを構える会社社長となった。平日に遠出ランチができるいい身分だが、その分失ったものは多いのだろうと沙耶は思う。彼女は、1つ年下なだけだが、いまだ独身で浮いた噂もないから。
電線に止まる鳩のような俯瞰で、しばらく亜紀の会社の話を聞く。
社長だからか、なかなか吐き出す口がないようだ。沙耶はその愚痴を穏やかに受け止めた。
「ごめんなさい、私ばかり話しちゃって。沙耶さんは、最近どうです?」
気が済んだのか、突然、話しを振られた。特別なトピックは出なかった。
「いつも普通よ。相変わらずの日々」
「え、ノーストレスってことですよね。私も早くそんな生活がしたいですよー。大きな家に、イケメンで優しい旦那さんとかわいい子供、すごろくだったら上がりじゃないですか」
亜紀の言葉はもっともで、心持ちがいい。今の生活の中にある希望は、子供の成長くらい。愚痴も感情の揺らぎもない日々。それはとても幸せなこと。
「じゃあ、午後は会社に戻らなきゃ。時間作ってくれて、どうもありがとう」
食事代は知らぬ間に払われていた。
このまま、腐っちゃうのかな…
店を出てすぐ、立ち止まって丁寧にお辞儀をし、シャキシャキと改札口に向かう亜紀の姿がすぐに遠くなった。
彼女の腕にはマルゴーが下がっている。この前美容室で読んだVERYでモデルさんが私物として紹介していたものと同じセンスのいいバッグだが、その値段に驚き、他人事にしていた。
彼女の成功にも、マルゴーにも何も感じない。知らぬ間に、雑踏の中に埋もれている。
――私、このままじゃ、腐っちゃうのかな…。
ふと、湘南暮らしというぬるま湯でふやけて、皺だらけになるだけの自分を想像し、ゾッとした。
何かしなければならない。
そう感じながらも、最近ほとんど動かしていない脳の中に浮かぶアイデアなど何もなかった。
【#3へつづく:穏やかな主婦が知った「浮気より刺激的」なもの。人生初のパチンコで味わった「異世界のような」快感】
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