「NTV紅白歌のベストテン」の背景にあった「vsナベプロ」日本テレビの徹底抗戦
1975年の歌番組②スター誕生
1971年放送開始。森昌子から山口百恵、ピンク・レディー、中森明菜……。83年の番組終了まで、多くの人気アイドル歌手を世に出した、日本音楽史上、非常に重要な歌番組である。75年当時の司会は萩本欽一。
アマチュアの中からプロを選ぶという、いわゆる「コンテスト番組」なのだが、この番組が特徴的なのは「決戦大会」(75年当時)の仕組みである。
単に歌の実力で勝敗を付けるのではなく「プロダクションやレコード会社がプラカードを上げる(=契約意向を示す)」ことが最終ゴール。つまりアイドルとしての「商品性」まで見極めるという構造が、大きな特徴になっていたのだ。
という立て付け、一見「人身売買」にも見えるものだが、この本気感こそが、おびただしい数のアイドル志望者を呼び寄せ、番組を成功に導いたのである。
さて、前回「NTV紅白歌のベストテン」に、沢田研二やキャンディーズが出ていた記憶がないということを書いた。この背景には、実は日本テレビと渡辺プロダクション(ナベプロ)の大きな軋轢があったのだ。
▼73年春、当時隆盛を極めていたナベプロがNET(現:テレビ朝日)で「スター誕生!」の後追い番組を企画する。
▼時間帯は「紅白歌のベストテン」と同じ月曜20時からの枠に決定。
▼「紅白~」とぶつかる(=ナベプロの歌手が使えなくなる)とクレームを入れた日本テレビ側にナベプロ社長・渡辺晋は、うちの歌手を使いたいのなら「紅白歌のベストテン」の時間帯を変えろと告げる。
▼これに激怒した日本テレビが、ナベプロとの徹底抗戦に打って出る。
徹底抗戦───つまり「紅白歌のベストテン」も含めた日本テレビの歌番組全体から、ナベプロの歌手を締め出すことにしたのだ。もちろん、これは当時としては大英断だった。
しかし日本テレビ側には勝算もあった。軌道に乗っていた「スター誕生!」で輩出した新人を、ホリプロやサンミュージックなどに割り振って「紅白歌のベストテン」で顔を売って……というサイクルをぐるぐる回して、ナベプロの競合事務所との共存共栄が図れるだろうという。
結果、日本テレビ側は勝利する。
次々と輩出されるアイドルは、大きな人気を得て、逆にナベプロは、徐々に衰退していくことになるのだ。
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