藤島ジュリー景子氏が通った「西町インターナショナルスクール」の学費は青学初等部の3倍以上!
【続・あの有名人の意外な学歴 】#4
藤島ジュリー景子氏
(SMILE-UP代表取締役/59歳)
◇ ◇ ◇
「本当はものすごく勤勉で真面目。ところが、それは自身が望む生き方には反映されず、常にあきらめがついてまわった」
旧ジャニーズ事務所の最高権力者だったメリー喜多川氏の一人娘の藤島ジュリー景子氏(59)についてこう評するのは彼女を古くから知る芸能記者。
最初の挫折は中学の時に訪れる。小学校から西町インターナショナルスクール(東京・港区)に通学。大使館が立ち並ぶ一等地にある同校は学費が非常に高く、各国外交官の要人や日本の富裕層の子弟が集まる学校として知られる。
授業料は国内で高いとされる青山学院(初等部・中等部)の3~4.5倍だ。しかし、ジュリー氏は「お嬢さまであることに飽き足らず」女優を目指した。
小学生の時からジャニーズ事務所に所属し、舞台やバラエティーに出演していたが、本格的なデビューは中学1年の秋。「3年B組金八先生」の第1シリーズに同事務所所属のたのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)とともに出演。「続けて第2シリーズにも出演したものの、ほとんど注目されることはなく、本人は女優としてのオーラが足りない現実を自覚せざるをえなかった」と同記者は振り返る。
結局、芸能活動を断念。夢が破れたジュリー氏は中学を卒業するとすぐに米国に留学した。西町インターナショナルスクールに高校はない。一緒に付いていったのは父の藤島泰輔氏だった。母メリー氏は同行しなかった。
元々はフォーリーブスや郷ひろみのマネジャーを務めていたが、弟のジャニー喜多川氏を社長に据えながら、その頃にはすでに事務所の運営を一手に握る実質的なトップになっていた。
明仁上皇の学習院時代の学友として知られる藤島氏が東京・四谷で深夜営業のハンバーガー店を経営するメリー氏と出会ったのは1960年ごろ。6年後にはジュリー氏が生まれるが、2人は婚姻届を提出していなかった。藤島氏には別の妻がいたのだ。62年に俳人の高浜虚子の孫と見合い結婚していた。
72年には離婚が成立したが、藤島氏はすぐにはメリー氏と結婚しなかった。政治活動に熱心になっていた藤島氏が重い腰を上げ、籍を入れたのはそれから3年後。ジュリー氏は小学校3年になっていた。
「認知は遅れたものの、藤島氏は娘を溺愛していた」と同氏を知る元政治部記者は話す。
米国での留学生活を終え、日本に戻ったジュリー氏は上智大外国語学部比較文化学科に入学した。現在は国際教養学部に改組。「同大でもっとも人気がある学部」(予備校講師)である。卒業するとフジテレビに入社するが、ここでも「持ち前の勤勉さが現れる」と前出のベテラン記者。勤務のかたわら、早稲田大第二文学部(廃止)に入学。学び続けようとする姿勢が印象に残っているという。
現在も叔父と母が残した負の遺産の処理に追われるジュリー氏。被害者の全面救済のためにも本来の粘り強さを発揮してほしい。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
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