最初の“月9”が後に一大ブームとなるトレンディードラマの「種」だった
【あの頃、テレビドラマは熱かった】#17
「アナウンサーぷっつん物語」
(1987年/フジテレビ系)
◇ ◇ ◇
電電公社がNTTとなって2月に株式上場。4月には国鉄も分割民営化してJRが発足した1987年。“地上げ屋”の暗躍で地価は高騰し、世は“バブルの塔”の階段を上ることしか考えていなかった頃。そんな中、フジテレビ編成の最高責任者であった日枝久氏(当時49歳で常務)体制下で誕生したのが、“月9ドラマ”だ。
81年に日枝編成局長のもと「楽しくなければテレビじゃない」を打ち出したフジテレビは、“いいとも”と“ひょうきん族”をベースにその“軽チャー路線”を拡大させていた。一方で、80年代前半には月曜夜9時に高視聴率を連発していた“欽ドン”が失速。
それに見切りをつけたかのように始まったのが、全6話と短めの連ドラ「アナウンサーぷっつん物語」だった。
美人として評判の岩瀬恵子、親しみやすい寺田理恵子、イジられ上手の長野智子ら84~86年入社の女子アナたちが注目されていた時期。そして前年に片岡鶴太郎が流行させた「ぷっつん」というフレーズを合わせて、フジテレビそのものを舞台に連ドラにしてしまう安直さ、じゃなかった、軽やかさ。
「ひょうきん族」や「オールナイトフジ」なんかでちょいちょい見せていた“ギョーカイ”の内輪ネタが若者にウケていた頃だけに、視聴率は平均で18%前後と“それなり”の数字を稼いだ。そしてこの“業界シリーズ”は「ラジオびんびん物語」や「ギョーカイ君が行く!」など5作続く。
ただ、今振り返ると、この「アナぷつ」は“ギョーカイもの”でありながら、後に一大ブームとなる“トレンディードラマ”の種だったと思う。ヒロインの岸本加世子(当時26歳)、相手役の神田正輝(同36歳)というカップルは新鮮だったし、雇均法施行から間もない「都会で働く男女の本音と恋愛」を、流行ものを取り入れながら軽やかに描いていた。
実はこの前年にTBSでヒットした明石家さんまと大竹しのぶの「男女7人夏物語」こそが、トレンディードラマの原型だと僕は思っている。でも、それがウケると察知して積極的にその路線を取り入れたのが、フジテレビの軽やかさだった。
“月9”と呼ばれ始めるのは、現実のバブルが崩壊する90年あたりから。だけど、月9の高視聴率はバブルとは言えないくらい長く、20年ぐらい続いた。そりゃ日枝さんが長きにわたって権力を維持するのもうなずける。それだけの功績だし。でも実際そんな会社、いくらでもありますよね?
(テレビコラムニスト・亀井徳明)
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