#2 「我慢してあげている」という優位の感覚と被害者意識

うかみ綾乃 小説家
更新日:2019-06-07 09:58
投稿日:2019-06-07 06:00

だんだん断る行為そのものに疲弊して

セックスはストレスとプレッシャーの対象(写真:iStock)
セックスはストレスとプレッシャーの対象 (写真:iStock)

 私自身は、若い頃から《したくない側》でした。

 性的な好奇心も性欲もあるものの、セックス行為は常にストレスとプレッシャーの対象でした。

 《したくない側》にとってのセックスは、たとえば運動の苦手な人にとってのジョギングのようなもの。

 たまに自分のペースで散歩するのは楽しいものの、定期的に他人と走ることを義務づけされると、憂鬱になってしまう。

 けれど好きな人は一緒に走りたがっている。断り続けるのも申し訳なく角が立ち、だんだん断る行為そのものに疲弊してくる。

 そこでたまに頑張って誘いに乗ってみる。

 最初から「今日は頑張ってサービスする日」と割り切っているので、相手に合わせてゴールには辿り着くことはできる。

 ああ、よくやった自分。相手も満足してくれたようだ。良かった。

 ただ、ここで相手は「走るとやっぱり気持ちいいでしょう?」と爽やかな笑顔を向けてくる。「健康のためにも、これからももっと走ろうね」

 ……いや、走らないせいで早死にしたって、こっちはいいんだ……

 一週間後、また誘われる。今度は断らせてもらう。すると「どうして? この前は楽しそうに走っていたのに」「私(僕)と走るのが、もう嫌なの?」

 ……辛い……

 相手を傷つけることも、この煩わしい状況も避けたくて、一ヶ月に一度は走るように妥協する。

 けれどその日が近づくにつれ、「ああ、来週か……う、もう明後日か」と気持ちが塞いでくる。

男としての自信を喪失しEDやうつ病を発症

男性としての自信を失って…(写真:iStock)
男性としての自信を失って… (写真:iStock)

 ジョギングでなくても、人にはそれぞれ、理屈のつかない苦手なものがあると思います。明日の洋服を考えること。お風呂に入ること。飲み会に出ることetc.

 誰かにとっては楽しいものが、ほかの誰かにとっては苦痛でしかない。

 でも20代までの私は、自分の苦痛にしか目がいきませんでした。

 断られる側の苦痛は想像できず、考え得る解決策は、「どうしても誰かと走りたいのなら、ほかの誰かと走って。その人のジョギングウェア代は私が出すから」という、相手によっては残酷極まりなく響くお願いでした。

 結果、当時付き合った男性のうち、ふたりがEDになりました。

 ひとりは20代前半。性格は朗らかな人でしたが、もともとペニスの大きさに自信がなく、私に拒まれたことで、ますます男としての自信を喪失しました。

 もうひとりは40代前半で、その人には最初に「セックスが苦手」であることを伝えましたが、相手は「僕がきみを治す」との姿勢となり、結局は私のセックス嫌いを「治せない」苦悩から、EDに加えて鬱病を発症しました。

射精する無防備な相手の表情を冷めた目で

「我慢してセックスしてあげている」(写真:iStock)
「我慢してセックスしてあげている」 (写真:iStock)

 その後、付き合う人とは「ふつう」にセックスするようになりました。セックスが嫌だなんて、おくびにも出しません。たまには自分からも誘います。相手を傷つけないよう、面倒な軋轢を生み出さないよう、ひととき我慢してやり過ごせばいい。そう、割り切っていたつもりでした。

 でもこれは、相手とも、自分の性とも向き合わないこととも同義でした。

 デートの日が近づくにつれて気鬱は増し、さらに性質の悪いことに、「我慢してセックスしてあげている」という優位の感覚と被害者意識を持つようになりました。

 気乗りのしないセックスをしながら、自分の上で一心不乱に腰を振り、射精する無防備な相手の表情を、冷めた目で見ていました。

 そうやって付き合ったうちのひとりの男性と、40歳を過ぎた頃に、約10年ぶりに再会しました。そこで、思いがけないことを言われたのです。

  ◇  ◇  ◇

 次回に続きます。

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