自分はただの酒席の道具なのか?
会場は繁華街のラウンジ。
集まったのは企業の経営者や夜の店のオーナーらしき人々で、酒が進むにつれ空気は乱れていった。芸人たちはネタを披露し、時には下ネタ混じりの即興を要求された。
客は大笑いし、チップ代わりに1万円札を直接渡す。
「お前ら、いいなあ。テレビ出たら俺がスポンサーになってやるよ」
そんな言葉を浴びせられながら、Aは笑顔で頭を下げたが、心中は複雑だった。芸を届けているつもりが、ただ酒席の“道具”になっているような感覚が拭えなかったからだ。
それでも営業の誘いは増えていった。クラブのVIPルーム、豪邸のパーティー、さらには結婚式の二次会。
ギャラは現金手渡しが基本で、封筒に札束が無造作に入っていた。中には「今回はギャラなしだけど、飲み代は出す」というケースもあり、盛り上げ要員にされることもあった。
「誰の金で笑わせているのか」
芸人仲間の間では「営業で稼げているやつは強い」という評価があった。
劇場やテレビに出るより効率的に稼げ、人脈次第でスポンサーに繋がることもある。しかし「あいつ、怪しい営業に出てるらしい」と噂されると、事務所からにらまれテレビの仕事を逃すリスクもあった。
営業は諸刃の剣だったのだ。
特に恐ろしいのは、相手が反社会的勢力や違法ビジネスに関わる人物だった場合だ。
Aの知人芸人の一人は、一度そうした場に呼ばれただけで番組出演を自粛させられ、「闇営業芸人」と叩かれた。本人は深く考えず参加しただけだったが、人生を左右するほどの代償を背負った。
以来、Aは営業の誘いを受けるたびに慎重になった。封筒に入った現金の重みは、アルバイト10時間分の時給を一瞬で超える。しかし、その封筒一つが将来を壊しかねない。お笑いは本来、人を笑顔にするための仕事だ。けれど気づけば「誰の金で笑わせているのか」が問われる場面に立たされる。
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