嫌なことがあっても、フォロワーたちは優しくて…
そんな憂鬱なことがあっても、工場での単純作業は気持ちのリセットに向いていた。
終業チャイムが鳴るとともに、今日こそは珈琲芳村に行こうと、かおりは即作業場を後にした。
打刻機にカードをスキャンし、無事、誰とも会わず自転車置き場についた。今日はゆっくりお気に入りを味わうことができると胸をなでおろす。
「…あれ?」
時間を確認しようとスマホを見ると、ディスプレイには、今まで見たことのない通知が並んでいた。
Instagramのフォロー通知だ。
その数に目を見開く。なんと100を超えるフォロワーが新規に増えていたのだ。
有名人との相互フォローに夢心地
◆
『ごめんなさい、勝手に投稿にタグ付けしちゃいました。ご迷惑かけていたら申し訳ありません』
届いたDMによると、どうやら、ファッションモデルのkonokaさんにかおりのアカウントがタグ付けされた結果のようだった。
シフォンケーキが好きだという彼女。ファンの質問に答えるような形で『この方の投稿でシフォン情報を収集しています』と紹介してくれていたのだ。
――konokaさんって、アーティストのPVやスマホのCMにも出てるコだよね。
ほとんどテレビを見ないかおりでさえも知っている存在だ。そんな有名人が認知してくれた、それだけでも嬉しかった。
『ぜひぜひ。ありがとうございます』
珈琲芳村に駆け込み、慌てて返信する。やり取りは弾み、konokaさんとは相互フォローし合うことになった。
季節を先取りしたストロベリーのシフォン。
中深煎りのヨーロピアンブレンド。
おいしかったけど、じっくり味わえる精神状態ではなかった。フォローは分ごとに増えていくから。
その後、瞬く間に、かおりのアカウントのフォロワーは1万人に達したのだった。
春が来た…幸せな気分に酔いしれて
3カ月後のとある火曜日。
かおりが10時に家を出ようとすると、信美はビックリした様子で呼び止めた。
「かおりちゃん、今日、お仕事遅出なの?」
「有給だよ。泊りで京都に行くって言ったじゃない。あのあたり、おいしいシフォンの店がいくつもあるらしくて」
「まぁ…勉強熱心なこと」
フォロワーは1カ月後には5万人に達した。PR案件のお誘いやwebメディアからの問い合わせも来るようになった。
ささやかではあるが、金銭的な余裕も持てるようになってきた。
いつの間にか、平坦な日常生活がうねりのあるものに変わっている。
この東京の片隅で36年、静かに生きてきた。自ら主張するほどの自信はないけれど、密かに、誰かに見つけられたかった。
突然、春が来た。
そんな幸せな気分が、かおりの毎日を彩り始めていた。
【#3へつづく:気がつかなかった自分の可能性に目覚めたかおりは…】
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