44歳独身、今からでも遅くない?ズル休み→大学進学を決めた“無敵の女”

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-06-08 06:00
投稿日:2024-06-08 06:00

【八王子の女・小林由紀44歳 #3】

 八王子の居酒屋で契約社員として働く由紀は、信じていた学生バイトに蔑まれ、客の若者にも罵られる日々。見かねた学生バイトの美波は「努力不足」だと叱責するが、そんなことがあっても由紀は不思議と何の感情も起こらないのだった…。【前回はこちら初回はこちら

 ◇  ◇  ◇

 木曜の朝の4時過ぎ。

 愛読している歴史小説を開いても、なかなかページを進めることができず、こんな時間になってしまった。

――「なんで現状に疑問を持たないんですか? 貪欲に、わがままになってください」――

 由紀の頭の中を、美波に言われた言葉がぐるぐる回っていた。

 言葉のチョイスに、多少の胡散臭さを孕んでいたが、これだけ自分に響いているのは、一理あるからだろう。

「できないんだよ…」

 吐き捨てるように由紀は呟く。

手が届かないことを知っている

 日々がんばって生きてきたからこそ、がんばっても手の届かないものがある。一生懸命生きても生活に変化ない自分がその証拠だ。成功体験のない人生経験としてはっきり焼き付いている。

 すると、ミゲルがニャーとか細い声を上げて寄って来た。

 将来への不安はある。もし、現在働く居酒屋がなくなったら…。そんなこと、考えるだけでも恐ろしい。だから、考えないようにしている。

 44歳は命が尽きて初めて「若い」と形容される不思議な年齢だ。かといって、漠然とした不安までには至っていないから厄介だ。

 ふたたび、ニャーとミゲルが鳴く。

 このまま出勤時間まで眠ってしまったら、彼の食事のタイミングを逃すと由紀は焦り、早めに皿にカリカリを盛った。

 まっしぐらにかけてきて、おいしそうに頬張るミゲル。今を生きることだけしか考えていない、そんな彼に共鳴し、由紀は波打つその背中を優しく撫でた。

バイトを辞めたのは私のせい?

 由紀は、昼前には目を覚ました。珍しく、LINEのメッセージ着信があったからだ。その内容は、寝ぼけまなこを完全に覚醒させた。

『すみません、バイト辞めます。ロッカーの中のもの全て捨てていいです』

 送信元は美波だった。

 由紀は慌ててメッセージを返すが、いつまで経っても返信どころか既読はつかなかった。

 ――もしかして、私のせい?

 昨日美波に叱責された言葉がよぎった。

 そして、きっとそうだと由紀は確信する。彼女のように高学歴で意識が高い子は、客前で素直に土下座をするようなみじめな人間の下で働きたいなんて思わないだろうから。

 店から電話をしても、当然、出てくれなかった。

 胸の奥に鉛のような重いものを抱えたまま、由紀はその日の仕事をこなす。

 こんな日に限って、お客様は絶え間ない。ただ、憂鬱なことを考える暇はなかったため、その点ではよかった。

 ――しかたないか…。

真相を聞いて、張りつめていた何かが途切れた

 閉店後、早くも諦めて美波のロッカーを片付けた。すると、大学の教科書と思しき書籍が数冊入っていた。由紀は今日もそそくさと帰ろうとする鈴音を呼び止める。

「ねぇ、鈴ちゃん。美波ちゃんに連絡できたら、店に教科書があるって言ってくれるかな。私だと出てくれないの」

 美波の名前を出した時点で鈴音の顔は淀んだ。

「できないです。あの子が辞めたの、私のせいですから」

「え、どういうこと?」

 聞けば、美波はバイトのOB・金指に片思いをしていたのだという。鈴音が彼と交際しだしたことで、いざこざがあったそうだ。

「なるほど――」

「昨日も、イライラして仕事になっていなかったし」

 プツン。

 それを聞いて、由紀の中で張りつめていた何かが途切れる感覚があった。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


誰かを待つのも悪くない 夜の片隅とそれぞれの大切な時間
 誰かを待つ時間、実はそんなに嫌いじゃない。街の片隅に留まるには周囲が納得する理由が必要だったりするから。  最近...
ダブル女偏の「嫉妬」の語源は何?美容院でジェラシった話。
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...
先輩から「デートのチークはピンク系」デキる女アピの熱血LINE指導w
 他人からの評価を気にして、仕事や意識の高さ、モテ力など、「デキる女アピール」をしてくる女性は多いですよね。  で...
マナーを守って一緒に楽しもう!子連れライブ参戦キホンのキ
 40代女性は子育て世代。今までみたいに気軽にアーティストのライブには行けません。諦めるか、子連れで行くかの選択肢を迫ら...
飲み会でLINE交換→「えっ院長なの?」素性知った途端に本性見えたよ
 人には誰しも、表の顔と裏の顔があるものです。どんなに普段いい顔をしていても、ちょっとした瞬間に本性が垣間見えることも…...
おひとりさまって身軽だYO! ダヴィンチ、ニュートンetc.も生涯童貞!?
 コミックや書籍など数々の表紙デザインを手がけてきた元・装丁デザイナーの山口明さん(63)。多忙な現役時代を経て、56歳...
書店パトロール空振り?いや、逆ヤバ!文具女子博の雑誌付録は使い方∞
 慌ただしい年末年始で雑誌付録をチェックできていなかったな〜と書店をパトロールしました。  ピンとくる雑誌の付録が見つ...
「わがままだね」と言われたら…悪口どころか褒め言葉のワケ
「わがまま」と聞くと、みなさんはどんなイメージを持ちますか?  私は思いっきりネガティブなイメージしかなかったのです...
元TBSアナ→画家に転身 伊東楓さん「心の中の闇が創作欲をかきたてる」
 元TBSアナウンサーで画家として活動する伊東楓さん(30)は現在、ドイツの首都ベルリンを拠点にしている。なぜ、ドイツな...
元TBSアナで画家の伊東楓さん ほぼ手ぶら&すっぴん!? メイクで現れた
 元TBSアナウンサーで、現在は画家として活動する伊東楓さん(30)と待ち合わせたのは寒の入りを迎えた東京・新宿。ドイツ...
この景色は宝物だ いつかまた理由もなく思い出すんだろう
 ふと、なんの脈略もなく浮かぶ景色がある。  小学校への通学路、家族旅行の思い出、好きな子にフラれた帰り道。どうせ...
Amazon1位の白湯用マグカップは“以外”でも大丈夫? 販売元に聞く
「Amazonベストセラー1位」のオレンジ色のワッペンよ、なぜこうもわたしの購入意欲をかきたてるのか…。「知らんがな!」...
ありがたい幸運お年玉! 激レア縞三毛猫の“たまたま”に合掌
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
絶対買い!運気満タンなシンピジュームは手軽価格&ランなのに寒さに強い
 年末のお歳暮商品として人気の高い「シンピジューム」の花鉢ですが、実は切り花としてもスゴイんだとか。華やかで可憐な見た目...
【開運&金運UP】日本三大金運神社・安房神社のお参りで、ご利益が!
 日本三大金運神社とは、山梨県富士吉田市・新屋山神社(あらややまじんじゃ)本宮・奥宮、石川県白山市・金劔宮(きんけんぐう...
便利家電を使いこなすお婆ちゃんが教えてくれたこと
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...