母親は夢を諦めなきゃダメですか?夫を「支えてあげて」の言葉が悔しい

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-07-13 06:00
投稿日:2024-07-13 06:00

私だって夢から醒めたくない

 この街にいる限り、夢から醒めることはできない。

 不便を感じても、この街に居続けたのは、お互いに夢から醒めたくなかったから。

 だけど…

「ママー、だっこ」

「ナミもー」

「…ねえ拓郎くん、一人くらいは抱っこしてよ」

 二次会に向かう面々に後ろ髪ひかれながら、井の頭公園を通ってマイホームに向かう帰り道――小走りで追いかける妊婦をよそに、物思いにふける拓郎の背中は、いまだ醒めない夢追い人だった。

「あ、そうだね。大丈夫? 手伝うよ」

 一方、絵里奈の中では、別の何かが醒める感触があった。

「大丈夫なわけない。てかつまり、どういうこと? 今日の仕事は?」

「…」

 彼は答えない。そしてどこか逆切れしたような冷たい空気を醸し出している。

 井の頭公園は午後9時。井の頭池にかかる七井橋を互いに無言で歩きながら、闇の中でしっかり係留されているスワンボートが見えた。

絶望の先に明るい光が見えてきた

 絵里奈もいまだ途中の人だ。

 描かなければ生きていけないのは一緒。いまは一時的に自らをあやめているだけ。

 そして帰宅後、拓郎はこれ見よがしにタブレットで作業をし始めた。一方、絵里奈は眠そうな子供の寝かしつけのため、寝室へ直行する。

 3時間後、ことを終えてリビングに戻った絵里奈は、なおタブレットと向き合う拓郎の背中を無言で眺め、飲み会で耳にした仲間の言葉を思い出す。

『今はいつでもどこでも描けて、発表もできる時代で良かったですね』

 中央線の、まっすぐ伸びた線路の奥には絵里奈の実家がある。

 お腹の子と、幼児の双子を抱えた失望と不安だらけのストーリーの行く末が頭の中をめぐる。

 絶望を辿りながら思い描いていると、その先になぜか明るい光が見えてきた。

 それは…。

 ――私も液晶タブレットを買おう。いい漫画が描けそうな気がする。

弁財天様に見つかっちゃったかな

 脳内に、ネタのイメージが数多に降り注いできた。主人公は私、そして子供たち。登場人物に夫の姿はない。意識を失っていた漫画家としての魂が回復してくる。

 夢はふたたび動き出した。

「ついに弁財天様に、見つかっちゃたかな」

 絵里奈はそっと呟く。

 初めてのデートと、最終回を脳裏にはっきりと思い描きながら。

Fin.

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


「妊娠アウティング」経験者たちのエピソード 悲劇はどうすれば防げたのか
 皆さんは、「妊娠アウティング」という言葉を知っていますか? もしかしたら、実際に被害を受けたことがある人もいるかもしれ...
あの人気観葉植物が地震を予知!? 植物の異変から事前兆候を察知する話
 テレビ画面に映し出される南海トラフの「巨大地震注意」の文字…。不安で心が押しつぶされそうになりますな。ワタクシが生...
アプローチ中のおんにゃの子は塩対応? “たまたま”の恋の行方にドキドキ
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
盆地を見下ろす丘で
 盆地を見下ろす丘で。  くるくると回る風に吹かれ、空に風の交差点を観た。
ほっこり癒し漫画/第79回「来るかな? ニャー」
【連載第79回】  ベストセラー『ねことじいちゃん』の作者が描く話題作が、「コクハク」に登場! 「しっぽのお...
「女郎花と男郎花」読める? ヒント:ジョロウは間違い。初秋に愛でたい
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「女ことば」では、女性にまつわる漢字や熟語、表現、地...
ミルクに難色、昭和育児の「母乳信仰」って何なん? 押しつけがましい上から目線LINEにイラッ
 初めての育児や、何人もの育児をしているお母さんは、とりわけ、毎日大変! そんなお母さんを追い詰める身内、どうにかならな...
セレブ妻が赤羽のサイゼリヤに落ちるまで 上流階級との「品格の差」に絶望
 悠々自適なセレブ生活を送っている医師の妻・大宮由香。ある日、お嬢様学校に通う娘のクラスメイト・愛舞(らぶ)とその母親・...
勝ち組ママ友が放った屈辱的な一言。私を「一般人」と一緒にしないで!
 四ツ谷・番町エリアに暮らす医師の妻である大宮由香は、娘・葵を名門お嬢様学校に通わせている。小学校に入った葵から友人がで...
嘘でしょ…娘の友達が「キラキラネーム」? 玉の輿セレブの大きな誤算
 都会の中心でありながらも、ハイグレードな住宅街として知られる四ツ谷・番町エリア。  大宮由香は、小学校に入ったば...
スメハラ? 90年代の出版社は“異臭”がプ~ン…男と香水と時代の変化
 コミックや書籍など数々の表紙デザインを手がけてきた元・装丁デザイナーの山口明さん(64)。多忙な現役時代を経て、56歳...
移住の思わぬ落とし穴。収入激減で大後悔!こんなはずじゃなかった…
 コロナ禍でリモートワークに対応する会社が多くなり、地方への移住を一つの選択肢として捉える人は増えました。でも、あまり調...
直木賞作家・荻原浩氏インタビュー 世にはびこる誹謗中傷「耳の痛い意見が人を成長させるとは言い切れない」
 パリ五輪でも選手や審判などに対する誹謗中傷は深刻な問題となっている。誹謗中傷は、他人への悪口(誹謗)と根拠のない出鱈目...
まるで最高級の餡子玉! 黒猫のプリプリ“たまたま”がキュートすぎる
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
江角マキコ芸能界引退から7年、初めてデビュー作を語る(後編)父を亡くした喪失感を「ゆみ子」に重ね合わせた
 芸能界から引退している江角マキコさんが、7年ぶりとなるインタビュー取材に応じた。目的は、石川県輪島市を支援するために特...
2024-08-07 07:00 ライフスタイル