SNSで聖書を面白くわかりやすく伝える活動を続けている上馬キリスト教会ツイッター部のMAROさんは、世界的なベストセラーの聖書は「人間の残念さの歴史」とし、残念だからこそ救われ、人からも神様からも愛されるのだと解説しています。
『聖書のなかの残念な人たち』(笠間書院)より聖書に登場する人たちの「残念」な失態エピソードを一部抜粋・編集してご紹介します。
兄の代わりを命じられたオナン
ヤコブの12人の息子の1人、ユダは、兄弟たちから離れて暮らすようになりました。そこでエル、オナン、シェラという3人の息子に恵まれました。やがて彼らが成人すると、長男のエルはタマルという妻を迎えました。しかしエルは、その後ですぐに死んでしまいました。
父ユダは次男のオナンに言いました。「兄エルのために、タマルとの間に子どもを作りなさい」。つまり、兄の代わりに弟がタマルを妻としなさい、ということです。
しかし現代の感覚と違うのは、弟オナンと兄嫁タマルの間に子どもができたとしたら、その子は兄エルの子として扱われる、という点です。
当然その子孫はみんなエルの子孫だということになります。オナンは生まれる子を自分の子であっても自分の子として扱えないということなのでした。
現代の感覚ではかなり違和感を覚える言いつけですが、当時はこれが一般的なルールでした。家の長男だけが家の子孫を残せるルールだったんです。
「自慰行為は罪だ」という認識広がった
これにオナンは不満を抱き、表向きはタマルと一緒に寝たのですが、性行為をした振りだけして、実は自分でいわゆる「自慰」をして、子どもができないようにしていたのでした。
聖書の記述で言えば「兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入ると地に流していた」ということになります。
このことについて神様は怒り、オナンを殺してしまいました。そしてこのエピソードにより、オナンは「自慰」を意味する「オナニー」という、ちょっと恥ずかしい単語の語源になってしまいました。
オナンは聖書では、ほんの少ししか登場しない地味なキャラなんですが、そんなちょっと恥ずかしい単語として、後世まで何千年もその名が残ることになってしまったのでした。
このエピソードから、「自慰行為は神様が怒る行為だ、罪だ」という認識がかなり広がったのですが、神様が怒ったポイントは本当にそこでしょうか。
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