楽しいだけじゃない。人間関係とお金の悩み
華やかに見えるオタ活の裏には、心が擦り減るような場面も。
特につらかったのは、同じ推しを応援するファンとの人間関係です。推しとの距離が縮まるにつれ、他のファンからの視線や言葉が、徐々に重たく感じられるようになっていきました。
ちょっとした言葉に棘を感じたり、マウントを取られたり。大人の世界だと思っていたのに、まるで学生時代のような“仲間はずれ”の空気が流れることも…。この年齢になって、そんなことで悩むなんて、正直思いもしませんでした。
そして、やはり現実的に大きな負担となっていたのは、お金の問題です。渡韓費用、応援広告やイベントの準備、サイン会への参加、日本での活動にかかるチケット代やグッズ購入……。気がつけば、毎月の出費は綱渡り状態。
独身で自由になるお金があったからこそ続けられていたものの、「この生活をいつまで続けられるだろう」と不安になることもありました。
コロナ禍を機に“卒業”した今、思うこと
そんな日々が突然変わったのは、コロナ禍の到来でした。
渡航ができなくなり、イベントも次々と中止に。日常の中から推し活がすっぽり抜け落ちたことで、自然と気持ちも離れていきました。
そして気がつけば、私は静かにオタ活をやめていたのです。
それでも、あの時間を後悔しているわけではありません。あれほど全力で誰かを応援した経験は、間違いなく人生の財産になりました。
毎日にハリが生まれ、生活に目標ができ、推しに会いに行き笑顔をもらい、同じ推しを愛する仲間たちと感情を共有できた日々は、私を支えてくれる存在でした。
今でもふとした瞬間に、あの頃の記憶がよみがえることがあります。
推しのパフォーマンスで涙ぐんだライブ。初めてサインをもらった日の胸の高鳴り。SNSで深夜まで語り合った夜。そんな思い出の数々が、今も心の奥で静かに輝き続けています。
“推し”は「人生の潤い」だった
オタ活をやめた今、改めて振り返ってみると、“推し”は私にとって「人生の潤い」だったのだと感じます。
恋愛とはまた違うけれど、ときめきをくれて、日々を明るく照らしてくれる存在。応援できたこと自体が、私の中に大きな誇りとして残っています。
アラフィフ独女だからこそ、あの頃のオタ活はただの趣味ではなく、人生に必要なエネルギーでした。
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