「大統領暗殺裁判 16日間の真実」軍法裁判と全斗煥の野望を暴いた衝撃作

更新日:2025-08-22 17:03
投稿日:2025-08-22 17:00

【孤独のキネマ】

 大統領暗殺裁判 16日間の真実

  ◇  ◇  ◇

 この映画を見終えたとき「重いなぁ」とつぶやいてしまった。韓国の朴正熙暗殺事件を裁く軍法裁判を重厚に描いた衝撃作。民主主義を失った暗黒社会とはこれほどまでに恐ろしいのかと戦慄を覚えた。

 1979年10月26日、ソウル特別市で朴正煕大統領が暗殺された。首謀者は国のナンバー2とも言われた中央情報部(KCIA)部長の金載圭で、襲撃犯として8名が起訴。その中に金載圭の随行秘書官であるパク・テジュ大佐(イ・ソンギュン)もいた。

 このパク・テジュの弁護を引き受けたのが主人公のチョン・インフ弁護士(チョ・ジョンソク)だ。パク・テジュは軍人のため、ただ一人軍法裁判にかけられる。軍法裁判には再審がなく、一度の判決で刑が確定する。そのためチョン・インフは公正な裁判を求めて闘うが、のちに軍事反乱を起こす巨大権力の中心である合同捜査団長チョン・サンドゥ(ユ・ジェミョン)によって裁判は不正に操られていくのだった……。

 主人公のチョン・インフは架空の弁護士。社会正義よりも「裁判は勝てばいい」とばかりに自分の利益を優先してきた俗物だ。その彼がパク・テジュの弁護を担当したことから、正当な裁判を希求する理性的良心に目覚める。人間の成長の物語を本筋の暗殺裁判に絡めてドラマチックに演出した脚本だ。

 パク・テジュは実際の被告だったパク・フンジュ大佐をモデルにしている。メガホンを取ったチュ・チャンミン監督はこう語っている。

「私自身もよく知らなかったパク・フンジュ大佐について資料調査をしていく中で、この人を一度は世の中に引きずり出さなければならないと思った」

 物語に登場するチャン・サンドゥは、あの全斗煥(チョンドファン)がモデルだ。この男こそ軍事クーデターで恐怖政治を敷き、光州事件(1980年)で韓国民衆の命を奪った極悪の独裁者。このチャン・サンドゥがチョン弁護士と世間話を始めるあたりから物語は緊張感を増していく。

「軍隊をどう考えているのか?」というチャン・サンドゥの質問には、相手の言葉尻をつかんで弾圧をちらつかせようという悪意が満ちている。こうしたやり取りが逆作用し、チョン弁護士の心に正義感を植え付けるという構図だ。

思うのは、歴史の真実を忘れてはならないということ

 チョン弁護士は自分が何をなすべきかに気づく。だが当の被告人パク・テジュは軍人の矜持を守ろうとし、それゆえ自分を不利に追いやる。この方針に異を唱えるチョン弁護士との対立も本作の見どころだ。法廷では「上官(金載圭)の命令に従った」と主張するパク・テジュを検察側が追いつめ、さらには内乱罪かどうかの議論に至る。

 紆余曲折を経て明るい光がきざしたところにクーデターが勃発。不勉強な筆者はあのクーデターに軍法裁判の成り行きが関係していたことを初めて知った。それだけでも本作を見る価値がある。

 言うまでもないことだが、日本人は1945年の敗戦によってGHQから民主主義を与えられた。これに対して韓国は数多くの市民活動家が血を流して独裁政権から民主主義を勝ち取った。それゆえ独裁への揺り戻しに敏感だ。その好例が昨年の尹錫悦による非常戒厳事件だった。

 韓国の映画界も民主主義を重んじ、かつての暗黒時代を批判する作品を数多く生み出してきた。「KCIA 南山の部長たち」「1987、ある闘いの真実」「タクシー運転手 約束は海を越えて」「ソウルの春」などなど。未見の人は週末に本作とまとめて鑑賞してはいかがだろうか。

 話は横道にそれるが、朴正煕暗殺の2カ月後、韓国では全斗煥による軍事クーデターが勃発した。12月12日に全斗煥が動き始め、翌13日から韓国は再び暗黒時代となった。“ソウルの春”は軍部に蹂躙され、民主化を求める良心的な市民は絶望に追いやられた。

 その12月13日、日本ではテレビの「ザ・ベストテン」(TBS)に久保田早紀が初出演した。10月にリリースした「異邦人」が5位にランクインしたのだ。筆者もリアルタイムで番組を見て「久保田早紀は美人だなぁ」と感嘆したものだ。そんな平和なひとときに、韓国は地獄の初日を迎えていたことになる。

 この「大統領暗殺裁判――」から思うのは、歴史の真実を忘れてはならないということだ。韓国国民が民主化を求める中、理不尽な裁判が行われ、全斗煥をのさばらせてしまった。権力者は己れの欲望のためなら国民の命をいとも簡単に抹殺できる。こう考えながら東條英機が中野正剛を自殺に追いやった「中野正剛事件」(1943年)を思い出した。ことほどさように「重い映画」である。

(新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかで全国公開中/配給:ショウゲート)

(文=森田健司)

エンタメ 新着一覧


不祥事芸人・フジモンの賛否両論の復帰劇!実は吉本への貢献度が抜群?
 昨年10月に当て逃げ事故を起こして活動自粛していたフジモンことFUJIWARA・藤本敏史が、3月23日放送の『さんまの...
堺屋大地 2024-04-12 06:00 エンタメ
寅子「あきらめたらそこで終わり」はもしや…名作漫画のイズムにニヤリ
 傍聴した裁判について尋ねた寅子(伊藤沙莉)に対し、穂高(小林薫)は皆で議論してみるよう促す。  暴力を振るう夫か...
桧山珠美 2024-04-11 15:25 エンタメ
トラコ入学、伊藤沙莉は表情筋を自由に操る女優…男装の山田よねにも注目
 昭和7年。晴れて「明律大学女子部法科」に入学した寅子(伊藤沙莉)のクラスには女子の憧れの的の華族令嬢・桜川涼子(桜井ユ...
桧山珠美 2024-04-08 18:38 エンタメ
“お騒がせ”青井実アナが心機一転、なにわ男子の道枝駿佑と似てるって⁉
 世の中の人がNHKに持つイメージといいますと、「真面目」「お堅い」「地味」といったところでしょうか。  そんな中...
逃げ恥の百合ちゃん役が“頭のいい女は頭の悪いふりをするしかない”発言
 穂高(小林薫)に出くわしたことで女子部への出願が母・はる(石田ゆり子)にばれてしまった寅子(伊藤沙莉)。  娘に...
桧山珠美 2024-04-05 15:30 エンタメ
「虎に翼」語りは尾野真千子 NHKアナと俳優のナレーションの違いは?
 寅子(伊藤沙莉)がお見合いに苦戦する中、親友の花江(森田望智)は寅子の兄・直道(上川周作)との結婚準備を順調に進めてい...
桧山珠美 2024-04-05 15:14 エンタメ
「虎に翼」シン・朝ドラの予感!わずか1話、たった15分で心つかんだ描写
 昭和6年・東京。女学校に通う猪爪寅子(伊藤沙莉)は父・直言(岡部たかし)、母・はる(石田ゆり子)から次々とお見合いを勧...
桧山珠美 2024-04-01 22:28 エンタメ
僥倖!世界に挑む赤西仁ほど「サムライマック」のCM向きな俳優はいない
 マクドナルドのCMにイケメンあり!  そんな声をちらほら耳にするようになりました。たとえば4月2日から全国放送さ...
平野らTOBEがドーム公演大成功の一方、暗雲立ち込める旧ジャニの逆転は
 3月14日から17日にかけて、滝沢秀明氏創設のTOBE所属アーティストによる東京ドーム公演「to HEROes ~TO...
こじらぶ 2024-03-30 06:00 エンタメ
ブギウギ最終回、水を差すようでスンマセン! 残念すぎる4つの演出と描写
 スズ子(趣里)のさよならコンサートが始まる。客席には懐かしい多くの面々がかけつけている。茨田りつ子(菊地凛子)、愛子(...
桧山珠美 2024-03-30 11:41 エンタメ
スズ子引退会見、“天敵の文屋”鮫島の「シャッポを脱ぐ」演出を読む
 歌手・福来スズ子(趣里)の引退会見の当日。スズ子は結局、羽鳥善一(草彅剛)とは話ができないまま会見に臨むことになってし...
桧山珠美 2024-03-27 14:30 エンタメ
超鈍感力! 羽鳥の絶縁宣言を屁とも思わないスズ子とタケシは似た者同士
 歌手引退――。スズ子(趣里)はその決断を、愛子(このか)や大野(木野花)に伝えた。  羽鳥善一(草彅剛)に絶縁す...
桧山珠美 2024-03-26 15:40 エンタメ
「GTOリバイバル」注目の新人イケメンは?松嶋菜々子は本当に出るのか
 反町隆史主演「GTO」が26年ぶりに帰ってきます。反町演じる元ヤン教師・鬼塚英吉がさまざまな問題を解決する学園モノで、...
ドヤ顔のアユミとヘイヘイブギー歌唱シーン温存の理由がわかる回だった
 昭和31年、大みそか。第7回オールスター男女歌合戦当日。スズ子(趣里)は、楽しみに会場へと向かう。スズ子が楽屋で支度を...
桧山珠美 2024-03-22 14:30 エンタメ
最終回秒読み…スズ子はブレずにお人よし、NHKと沼袋勉の手腕いかに!?
 愛子(このか)は、翌日の体育の時間に足の早い転校生と競争することになっていた。しかし、勝てる見込みがなく、愛子は学校を...
桧山珠美 2024-03-21 16:07 エンタメ
和田勉が転生したら中村倫也に!? 強烈インパクトで霞んだ礼子娘の初登場
 東京ブギウギのヒットから9年、ブギブームも下火になってきつつある中、スズ子(趣里)や羽鳥善一(草彅剛)のブギは古いとい...
桧山珠美 2024-03-18 14:30 エンタメ