【ある地方都市の女・根上朱里 32歳#1】
根上朱里が生まれ育ったのは、東京から鈍行列車で2時間ほど揺られた終点にある港町だ。
近年は都内から気軽に行ける観光地としても人気が高く、にぎやかで活気にあふれている場所である。――傍から見たら。
「クソださ……」
買ったばかりの中古ビートルを運転しながら、シャッターと人工的な色味が混沌と交わった街並みを冷ややかに眺める。
朱里はこの秋、生まれ育った地元に戻り、根を張ることにした。
いわゆる、Uターン移住というものをしたばかりだ。
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“ダサい”地元に念願のカフェをオープンしたが…
そして、月日が過ぎ…
「いらっしゃいませ。Café McGuffinへようこそ」
限界を感じ、頭打ち状態だったイラストレーター業の傍ら、朱里は起業セミナーに通い、カフェでバイトをはじめた。そして、一念発起して地元でギャラリーカフェを開店したのだ。
亡き祖母が生前暮らしていた海辺の自宅を改装し、ウリはお手製のスパイスカレー。インテリアにもこだわり、壁には朱里の絵や知人のクリエイターの作品が飾られ、それらはすぐに購入できるようにもしている。
ゆくゆくは、地元で活動する若者たちのサロンにしたい――つまりこのカフェを、空虚な町のカルチャー創生の場所にしたいと朱里は考えた。
「のんびりしていい場所ね。うちの近くにもこんなカフェがあったらいいな」
お客さん第一号は、東京から駆けつけてくれたデザイン会社時代の同僚・萌絵だ。彼女は店手仕込みのレモネードを傾けてつぶやいた。
「ありがとう。どんどん拡散して」
「拡散しなくても、きっとすぐ人気出るよ。失礼だけど、この辺り本っ当に何もないもんね」
何もない街。耳に痛い言葉だったが、それは少し前の自身も抱いていた感想だから仕方ない。
――この場所を、地元の人にも早く見つけてもらわないと。
駿河湾の穏やかな風に吹かれながら、朱里は希望に胸を膨らませた。
すると、ガラガラと入り口玄関の扉を勢いよく開ける音が聞こえてきた。
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