“給料制”のホリプロで和田アキ子が後輩の山口百恵に年収でダブルスコアの差をつけられたワケ
来年3月で「アッコにおまかせ!」(TBS系)が41年半の歴史に幕を閉じる。司会を務める和田アキ子(75)は芸能生活57年のうち、7割以上をこの番組とともに過ごしてきたことになる。
「おまかせ!」の終了でテレビのレギュラーはなくなるが、常々「私は給料制」と公言している和田にお金の心配はないだろう。戦後から2004年分まで国税庁が発表していた「高額納税者公示制度」(1982年分までは高額所得者)を参考にすると、おおよその収入がわかる。
「歩合制であれば、さらに稼いでいたでしょうけど、給料制と言っても普通のサラリーマンとは桁が違いますからね。アッコさんはデビュー5年目の72年、初めて長者番付に公示されました。当時は所得がそのまま載っており、1811万円です。この年は銀行員の大卒の初任給が5万2000円です。仮にボーナスを含めて年収90万円とすれば、和田さんはその20倍を稼いでいた計算になる。芸能人は夢のある職業でした」(芸能記者=以下同)
いわゆる「長者番付」を見ると、和田の所得額は70年代半ばは1800万円台ほどで推移し、78年は2500万円を超え、80年はおよそ3800万円に上ったという。
「一般的に見れば高所得者ですが、芸能界のトップクラスではありません。77年歌手部門の1位は井上陽水の9621万円です。10位は越路吹雪の4533万円ですが、アッコさんは1832万円と水を空けられている。給料制ですから、仕方ないでしょう。しかし、事務所の後輩である山口百恵さんの2756万円に負けているんです。百恵さんより先にホリプロに入った森昌子さんの1540万円には勝っていますが……」
“百恵バブル”の恩恵で和田も年収アップ
アッコ、百恵、昌子は同じホリプロで給料制のはずなのに、なぜ入社年次の最も遅い百恵が2人を上回ったのか。
「おそらく歌唱印税は、通常の給料と別に振り込まれていたのでしょう。この年、アッコさんは2枚、昌子さんは4枚シングルを出していますが、ヒットしていません。百恵さんは『初恋草紙』が24万枚を超え、『夢先案内人』『イミテーション・ゴールド』『秋桜』がいずれも45万枚以上と大ヒットしました」
翌78年もアッコの2668万円に対し、百恵は4016万円で歌手部門の10位に入った。79年はアッコの2910万円に対し、百恵は5520万円で歌手部門の9位にランクイン。倍近い所得差があった。
「後輩に抜かれて、複雑な思いもあったかもしれない。ただ、百恵さんの活躍によって、給料アップの恩恵を受けたと考えられます。アッコさんは78年に『金曜10時! うわさのチャンネル!!』を降板し、2年間日本テレビに出入り禁止になった。この頃、歌手活動に専念するため、他のバラエティにも基本的に出ていない。かといって、歌がヒットしたわけでもない。なのに、78年2688万円、79年2910万円、80年3800万円と一気に増えていきます。『百恵バブル』でホリプロの景気が良くなったからでしょう。ボーナスがかなり増額したのかもしれません」
和田の芸能人生を俯瞰すれば、歩合制のほうが稼げたかもしれないが、給料制の恩恵を受けた時代もあったようだ。
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