岩崎宏美さんは昭和の過密スケジュールで打たれ強く成長「芸能界は荒波ばかりで強くなければ生きていけませんから」
【私もデビュー50年】
岩崎宏美さん(歌手/66歳)
◇ ◇ ◇
デビューは16歳。堀越学園の芸能クラスに通い、同級生には森昌子もいた。
「マネジャーが迎えに来る子もいましたが、東京生まれ東京育ちの私はお迎えが気恥ずかしくて、ワンピースを入れたスーツバッグとちょっとのメーク道具を持って、電車で現場に行ってました。当時は子供が歌手になるなんて思いもしなかった。それが『スター誕生!』に出て素人から歌手になった昌子ちゃんを見て応募しようと思ったんです」
一番の思い出は16歳の時「スター誕生!」の収録で伊藤咲子と共にハワイに行ったことだそう。
「滞在中は外に出ないようにと言われていたのだけれど、咲子ちゃんと夜にビーチに行って、お互いの持ち歌を歌ったり……可愛かったなぁ。当時いただいた曲がどれもすてきで、とにかく歌えることが幸せでした」
仕事を選ぶことができなかった若手時代、ボウリング大会や水泳大会が苦手だったという。
「髪もおかっぱだったから、水から上がると誰だかわからない(笑)。さすがに事務所も向いてないなと思ったみたいで2年目にはなくなりましたけど。高校を卒業したら、学業の時間を趣味に充てたいと思っていたら、1日2公演の地方公演が入り……今思うとキツかったですね。でもそれが打たれ強い岩崎宏美をつくったかも。芸能界は荒波ばかりで強くなければ生きていけませんから」
歌手を続けてきた原動力は、やはり歌
ロックミュージカル「ハムレット」に出演したのを機に舞台に挑戦するため24歳で事務所から独立。今以上に独立の風当たりは強かった。
「いつもソロで歌ってきた私に、桑名正博さんたちがいる楽屋はもうひとつの家族のようで新たな学びがありました。この後、森繁久弥さんの『屋根の上のバイオリン弾き』のお話もいただいていたけど、事務所の方針でできなかった。仕事は大好きだけど、自分がやりたい仕事ができないのなら(事務所を)やめようと思ったんです。独立して1年、仕事は全くありませんでした。若かったから何も考えていなかったし、生意気に映ったんでしょうね。でも、ほとぼりがさめたらまた仕事が来るようになりました。昔を振り返ると、もう少しこうしてみたい、と思う時に一緒に話し合えるスタッフが見つけられなかったのが残念だったかな。今はいる人だけでやらなければいけないという時代でもなくなりましたし、自分も選ばれる立場でいたいと常々思っています」
50年間歌手を続けてきた原動力はやはり歌。
「3カ月ごとに新曲をいただいて、どれもすてきな曲ばかりで。こんな素晴らしい歌を毎日歌えたことに感謝しかありません。年を重ねて私の声も変わってきました。この先どう変化していくのか楽しみながら歌える歌い手でありたいと思います」
▽岩崎宏美(いわさき・ひろみ) 1958年生まれ、東京都江東区出身。74年に「スター誕生!」に応募し、75年にデビュー。「ロマンス」や「聖母たちのララバイ」など数々の名曲がある。現在、50周年記念コンサートを開催中。
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