中学受験で慶応普通部に進んだ石坂浩二も圧倒された「幼稚舎」組の生意気さ 大学時代に石井ふく子の目にとまる
【続続・あの有名人の意外な学歴】#5
石坂浩二
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戦後80年という節目を迎えた2025年。第一線で活躍する戦前生まれの芸能人もずいぶん減った。特に男優は数えるほどしかいなくなった。そうした中で今年も変わらず露出が目立ったのが石坂浩二(84)だ。NHK大河ドラマ「べらぼう」をはじめ、数々のドラマに主要な役で登場。さらには、リーグ優勝した阪神について多方面からコメントを求められた。
石坂が熱狂的な阪神ファンになったきっかけは幼い頃に連れていかれた六大学野球の早慶戦。慶応大の主将だった別当薫選手のプレーに魅せられた。翌年、別当は阪神(当時、大阪タイガース)に入団。在籍したのは2年間だけだったが、石坂は以降も阪神を応援し続けた。
銀座で生まれた石坂は祖母に手を引かれてたびたび浅草を訪れ、喜劇や落語を見たという。戦争が終わると、都内屈指の高級住宅地・大田区田園調布に移り住んだ。父はストアを展開する明治屋の取締役だった。小学校は地元の田園調布小。公立ながらレベルが高いことで知られ、区外からの越境入学も多かった。
中学受験して慶応普通部に進んだ。石坂は自伝「翔ぶ夢、生きる力」(廣済堂出版)の中で慶応に行きだした頃のことを「幼稚舎から来る連中の生意気さに驚いた」と記している。「これは石坂さんの偽らざる気持ちでしょう」と話すのは慶応大の文系教授。小学校の幼稚舎から大学、大学院までずっと慶応で過ごした人物だ。
「幼稚舎から上がってきた生徒は自らを“内部”、中学や高校から入ってきた生徒を“外部”と呼ぶ。差別するつもりはないんですが、自分たちが慶応を体現しているという意識が強いんです」
当初は不愉快な思いをしながらも、石坂はすぐに慶応の空気に溶け込んでいった。修学旅行で仲良くなった同級生たちと演劇部を創設した。慶応高校に上がると、ラジオのバイトを始めた。台本を書くだけでなく、DJも務めた。400円のギャラは交通費と食事代でその日のうちに消えた。
慶応大法学部に内部進学すると、芥川比呂志らが立ち上げた新劇研究会に入部した。大学2年の時、芥川が明智小五郎を演じる舞台「黒蜥蜴」に端役で出演。楽屋に出入りするうちに、テレビプロデューサーの石井ふく子氏の目にとまり、人気ドラマ「七人の刑事」(TBS系)への出演が決まった。「慶応のプリンスは瞬く間にスターダムを駆け上がっていった」と証言するのは80代の元芸能記者だ。
「七人の刑事」の出演からまもなく、連ドラ「潮騒」の主演が舞い込んだ。ヒロインの加賀まりこと裸で抱き合うシーンもあった。のちに2人は舞台でも共演。ぐっと距離を縮め、実際につきあい始めた。「どちらもあっけらかんとしたもので、交際を隠すこともなかった」と元記者は振り返る。
大河「太閤記」への出演も決まり、撮影の合間にキャンパスに顔を出すという状態に。結局、慶応を卒業するまでに6年かかった。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
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