光GENJIは全盛期でも年収3000万円なのに…同時期にジャニー&メリーが3億円超稼げていたワケ
芸能界では経営陣とタレントで、なぜかくも収入に大きな差が出るのか。10月16日放送の「あの金どこいった?~逆転人生にかける有名人~」(フジテレビ系)に、元光GENJIの大沢樹生(56)が出演。グループ時代の年収はおおよそ3000万円で、1994年の脱退までの7年間で2億円程度を稼いだと告白した。
光GENJIは1987年にジャニーズ事務所から「STAR LIGHT」でデビュー。翌年、「ガラスの十代」「パラダイス銀河」「Diamondハリケーン」など大ヒットを飛ばし、オリコンの年間シングルランキングでトップ3を独占した。
「当時の爆発的な人気を考えると、大沢の年収は相当少ないと思いますよ。88年は年間アーティスト・トータル・セールスで60億7550万円を記録しています。2位のBOØWYを17億円以上引き離して、ダントツでした。光GENJIは95年の解散までにシングル、アルバム、ビデオ、グッズなどの総売り上げで1000億円を超えたと言われています」(音楽関係者)
2004年度分まで、日本には「高額納税者公示制度」があった。所得税額1000万円以上を納税すると、税務署に氏名、住所、所得税額が掲示された。それを元に、スポーツ紙や週刊誌が著名人などのランキングを作り、「長者番付」と呼ばれていた。
■後藤真希や矢口真里らは10代で「長者番付」入り
「光GENJIは一世風靡したのに、誰も載っていないと当時話題になりました。たしかに未成年のメンバーも中にはいましたが、01年度分ではモーニング娘。の後藤真希や矢口真里、石川梨華、辻希美、加護亜依が10代ながら公示されています」(古株の芸能記者=以下同)
80年代のジャニーズ事務所はどんな給与体系だったのか。
「月給制で、年長者の田原俊彦さえ30万円だったそうです。相当低く感じられますが、歌唱印税などが加わるため、年収は膨れ上がり、田原や近藤真彦は長者番付に名前が載る年もありました。83年は歌手部門で、三波春夫やサザンオールスターズの桑田佳祐より高い額でした」
田原や近藤はソロだったが、光GENJIは7人グループのため全て7等分されてしまうため、長者番付に載らなかったようだ。では、事務所社長のジャニー喜多川氏、副社長のメリー喜多川氏の納税額はいくらだったのか。
「80年代半ば、2人とも3000万円台後半でした。田原や近藤とあまり変わらない年もありましたよ。あくまで個人の納税額ですけどね」
光GENJIが社会現象を巻き起こしたことで、ジャニー氏とメリー氏の納税額は倍増したという。
「光GENJIのデビュー1、2年目の頃、ジャニー氏とメリー氏の納税額はともに4000万円台でしたが、3~5年目は9000万円台で、1億円に迫る年もありました。7人の爆発的な人気による恩恵を受けています。当時は所得税の最高税率が50%でしたから、個人で2億円を稼いでいたと計算できる。これに法人による収入も足せば、さらに年収は上がるはずです」
■睡眠時間を削って働いていた7人のメンバー
毎日、睡眠時間を削って働く光GENJIのメンバーの10倍以上は稼いでいたと推定される。
「経営者が社員より稼ぐのは、当然といえば当然です。ジャニー氏とメリー氏が事務所を創業し、その育成力や管理力によって、事務所が急伸したのは間違いありません。しかし、寝る間もなく働き、莫大な金額を生み出した7人にもう少し給料を支払ってもよかったのでは。当時のアイドルは大きく売れても、落ち込みが激しい。それは誰でも知っていたし、身近にいる2人が最も把握していたはずです。社内の年金制度を作るなどして、数十年後のサポート体制を築いてもよかった」
経営者が己の欲望ばかりに突き進まなければ、2人の現在の評価はまた違うものになっていたかもしれない。
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いまだ根強い人気を誇る光GENJI。メンバーそれぞれの現在地と再結成の可能性を探る。気になるアナタは関連記事もチェック。
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