「ハンニバル」から学ぶ前頭葉の仕組み
突然ですが、みなさんは「ハンニバル」(2001年)という映画を見たことはありますか? 「羊たちの沈黙」(1991年)の続編で、ハンニバル・レクター博士の猟奇殺人鬼としての真骨頂がみられるわけですが。以下、ネタバレを含むので、作品そのものを見る予定のある方はここから1スクロールほどをば。
◇ ◇ ◇
レクター博士は、無礼な人間の理性をつかさどるという前頭葉を“ある方法”で生きたまま切り取ってしまいますが、前頭葉がなくなった人間は恥も外聞もなくなり、卑猥な言葉を連発し始めます(映画です)。前頭葉がなくなるとこんなふうになるんだ、なんてなかなか衝撃的なシーンなのですが(映画です)、その前頭葉です。これをセックスの道具に使われてしまうとは……。
えー、ここからが本題です。
たとえば、
・行かなくてはいけない
・やらなくてはいけないことが終わってない
・待たせてはいけない人を待たせている
といった感じで時間に追われ過ぎているけど、どうしてもいま取りかからないとどんどん雪だるま式に遅れて大災難が起こるというのが明白なとき。十中八九、人々はどうにか間に合わせようと、四苦八苦して帳尻を合わせるために全力を尽くします。たまに全部どうでもいいや、と放り投げる人もいますが、放り投げたいけどできないのが日常であり常人であり、つつがなく日々を送り続ける秘訣であったりします。
しかし、です。
・依存体質のわたし
・ひろしのルーティンを踏襲する日常に組み込まれてしまっているわたし
・ほとんどの意思決定がそのひろしによって支配されているわたし
↑このトリプルによって、わたしはひろしへの執着が徐々に芽生え始めます。しなくてはいけないことをちょっとだけ中途半端に終わらせて、ひろしのほうに比重を置く。女友達との「タイミング合えばお茶しよ」という約束が以前は60%の確率でなされていたのに、約束は形骸化していき、ほぼゼロに近くなる。そうすることでひろし以外の人々との軋轢が少しずつ表象化してくるけども、見て見ないふりをする……。
禁断の蜜ほど甘いのは、意思は無視されるから
もちろん、
・行かなくてはいけない
・やらなくてはいけないことが終わってない
・待たせてはいけない人を待たせている
といった前出同様のこれらによって、恋人をないがしろにせざるを得ないときは誰にだってあります。「私と仕事、どっちが大事なの」という言葉に代表されるように、恋人が不満を抱える場面も出てくるわけです。
しかし全部どうでもいい、と前頭葉を切り取られるようなセックスをしたなら、もうそれは麻薬のように悦びに溢れつつ身体を蝕んでいきます。だからこそ、やらなくてはいけないことが山積している時にあなたを選んだという服従と間違った被支配欲求により、エクスタシーは何倍にもなってきます。
こうしてやってはダメなことほどハマってしまうのは、そそのかす相手がきちんと主従関係を明確にして従うしかないと思わせるからこそなのです。いろんなものを代償にしながら、【セックスしていただく】という立場と気持ちをわきまえることで、いやらしくも首輪をつけて、リードを口に加えて待つセックス依存の完成と相なるのです。
えっ、味を占め続けるひろしとの具体的なHの内容ですか? お許しいただければ、次回に続きます!
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