#3 立川の夫と恵比寿の彼、女の幸せはどちらに?元アイドルが選んだ道は

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2023-11-18 06:00
投稿日:2023-11-18 06:00

元アイドルとして、女として押さえていた気持ちの末に

「ママー、なんかたのしそう」

 お迎えの帰り、麻美は鈴音からご機嫌を悟られてしまった。

 とっさに「天気がいいから」とごまかしたが、あながち嘘ではない。

 天気が良くて気分が良くなる、そんな健康的な自分になったのは、彼の存在のおかげだった。

 何かが始まる、そんな予感。

――何か、って何がだろう?

 自問自答、というよりは自分でぼけて自分でツッコむという方がいいのだろうか。自覚できるほど、浮かれているのがわかった。

立川から恵比寿のマンションへ

 麻美は次の日、タカミの家を訪れる約束をしていた。配信をお休みして、幼稚園に鈴音を預けたら、その足で彼の家に行くのだ。

 白金に近い恵比寿の低層マンションがその場所。川崎にある夫の会社とも、立川の知人の生活圏からかなり離れた場所……誰にも見つかるわけはない。

――家に行くだけ。ただ、家に行ってグッズを見るだけだから。

 言い訳をしながらも、彼の想い、そして自分の想いが、ただそれだけではないことを空気で感じとっていた。

『いいんですか? 本当に』

『え……あ、はい』

 彼は何度も念押ししてきた。そのたびに麻美は、迷いながらも返事をすることで覚悟を新たにする。

 夫には「アイドル時代の友人とランチ」とだけ予定を告げるのだった。

娘の急な発熱で、現実に

 子供は大事な時に限って、熱を出すという。

 その日の朝、鈴音の体温は38度を超えていた。咳も激しく、幼稚園に登園できる状況ではなかった。

 何日も前から楽しみにしていた日。以前からこういうことはあったが、今日だけは絶対に避けて欲しい特別な日だった。

 どうせ薬で寝ているし、置いていこうか――。

 そんな恐ろしい考えさえもよぎったその時、出社準備をしていた夫が何気なく呟く。

「俺、休もうか? 楽しみにしていたんだろう」

「どうして?」

「当然だろ」

 頼ろうとさえ思っていなかった。頭の中が真っ白になった。

 一度着たスーツを脱ぎながら、会社に電話する夫の姿を見つめる。

 麻美は猛烈な恥ずかしさで体中が熱くなった。

――会いたかった、けど……。

 普段は仕事人間で面白みのない男。こんな一言で、見直したわけではないが、それは浮かれていた麻美を現実に戻した。

「大丈夫。すずがこんな状態じゃ、わたし楽しめないもの」

私は所詮、凡人だ

 そもそも安定を求めて、この場所に来たはずだったことに気がつく。

 新宿から電車で30分。JR立川駅から徒歩で20分ほど。住宅街の狭小住宅。

 病院に行って多少回復した娘、そして夫と3人。

 開店したばかりのシャトレーゼで買ったケーキを10平米のリビングでつつく。

 お昼のワイドショーでは、子供もいる人気女優が不倫をした話題や、仕事から逃亡し突然引退宣言をしたアイドルの話題が報道されている。

 他人事のようにその画面を眺めているわたし。

 所詮凡人であることを自覚した。

 自分の意志で立ち、川の向こう岸へ振り返らずに飛び越えられる人間。

 あの世界で生きていくには、意志と思い切りが必要で、自分に欠けていたのはそれだった。すずに熱が出なくても、迷わず行っていただろうか。

「すずね、大きくなったらアイドルになるの」

 麻美の過去を知る夫は「甘くないぞ」と5歳児に正論で返す。

「なんでなんでー」と首をかしげる可愛らしい娘の表情を、麻美は柔らかな顔で見守るのであった。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


「スノーピーク豊田鞍ヶ池」に行ってきた! 2023.8.24(木)
 この夏休みは帰省ついでに愛知県・豊田市の鞍ヶ池公園内にある「豊田鞍ヶ池パークフィールド」を訪れました。広大な敷地の公園...
慶応V、色白美少年の勇姿!なぜ私たちは甲子園球児の純潔感に萌えるのか
 酷暑のなか、甲子園球場で行われた第105回全国高校野球選手権記念大会。今大会は真っ黒に日焼けした野球少年に混じって、色...
わんこ溺愛で365日冷暖房フル稼働の貧生活!ペット中心な人のLINE3選
 ペットを飼うと、本当の家族と同じように愛情が生まれますよね。でも中には、ペットを溺愛しすぎて「ペット中心」に生活をして...
居間や仏壇の花がすぐしおれる理由に納得!今すぐできる「短命回避術」
 ある暑い夏の深夜の出来事でございます。連日の繁忙期で、わずかに仮眠してすぐに職場へ戻らなければならなかったこの日、やっ...
おしっこをぶちまけるけど純粋さにメロメロ…男の子ママあるある7つ
 子供は天下の授かり物といいますが、男の子でも女の子でも子どもって本当に可愛いですよね! でも、可愛さに違いがあると言い...
お互いに気配りしつつ…フェロモンの上書きをする“たまたま”
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
街の片隅で咲く 2023.8.21(月)
 褒めてくれる人がいなくても、ただ自分のために咲く。そういう人って強いよね。  暑さが落ち着いたらまた出かけよう。...
財布から金品くすねること16回!盗み癖が直らない我が子と行き着いた先
 ステップファミリー6年目になる占い師ライターtumugiです。私は10代でデキ婚→子ども2人連れて離婚→シングルマザー...
うつむいてもいい 幸せは下に落ちている? 2023.8.20(日)
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
3年半の歳月をかけて可決された「女性ホルモン」の再開
 2023年7月29日、4年ぶりの開催となる隅田川の花火大会当日、私はシアター上野でのストリップ公演に絶賛出演中であった...
なんちゃっての“人工天然女”を一撃で仕留める! 胸スカやり返しLINE3選
 根っからの天然さんには可愛らしさや愛嬌を感じるもの。ですが“人工的な天然”には、イラッとしますよね。  今回はそ...
色移りに生乾き臭で大ダメージ!「洗濯失敗」あるあるエピと回避テク3選
 毎日やっている慣れっこの家事でも、時には失敗してしまうことがあります。中でも、洗濯はで失敗するとダメージ大!  今回...
「仕事を休む」言えないの、なぜ? 無理しがちな人の共通点とリスク
 体調が悪いのに「休む」という一言が言えず、無理に仕事をする人がいます。仕事を一生懸命頑張ることも大切ですが、無理は禁物...
「ジモティー」初心者に値下げ交渉のメールがきた! 2023.8.19(土)
 地域密着型の掲示板「ジモティー」。月間利用者数1200万人ともいわれ、東京都民(およそ1396万人)に追いつけ追い越せ...
介護という名の人生の修羅場、認知症の母ともみ合っても受け入れられない
 コミックや書籍など数々の表紙デザインを手がけてきた元・装丁デザイナーの山口明さん(63)。多忙な現役時代を経て、56歳...
習い事は無理でもプチ趣味なら!クレーンゲームとガチャガチャにハマった
 アラフォーにもなると、興味のある趣味はある程度トライした経験があると思います。  新たに習い事を始めるにも、1万...