【高円寺の女・浜口沙恵32歳 #2】
【#1のあらすじ】
ミュージシャンの沙恵は高円寺に暮らし、芸人の卵や音楽仲間と毎日飲み歩いている。高円寺はうんざりするような現実から解放してくれるネバーランドのような街なのだ。
先日、コンペに送ったアイドルグループの楽曲に対して、『お祈りメール』が届いた。
ここまでしてくれる運営さんはまれだが、残酷な現実からできる限り避けたい自分にとって、この行為は余計なお世話だと思ってしまう。
「あー、これで一発当てて引っ越しをしようと思っていたのにな」
有名どころのコンペだったので、密かに期待はしていた。
そんな希望が潰え、襲ってくる絶望…それをせき止めるように、私は「そんなもんだ」を言い聞かせる。
このアパートに住んで10年。そろそろ更新の時期なので、引っ越しを考えていた。
もちろん同じ高円寺の中で。離れるつもりは一切ない。互助会付きの素敵な住環境は、バストイレ別より魅力的なのだ。
いつもの店に珍客が…
「え、今日は私だけ?」
ある日、いつもの店に行くと、指定席は大学生らしき若者グループが通されていた。
最近、売れている芸人さんたちが高円寺を紹介する機会が多い。
希望に満ち溢れた清潔感がある彼らもおそらくそれらを見てきたのだろう。
「年末が近いからね。ナベさんも、レコーディングでNYに行ったみたいだし」
女将さんはいつものしゃがれた声で教えてくれた。
ナベさんは実は、有名歌手のバックバンドのメンバーだ。ほか、芸人連中は、年末年始の特番に駆り出されていたり、賞レースに向けての稽古で慌ただしそうだという。
知り合いで店にいるのは、カウンターの志島さんだけ。並んで呑んでもかまわないが、酒以外にする話は見当たらない。
私は彼に見つからないよう、少し離れたカウンターに腰掛けることとする。
半年ぶりの出会い
「――あれ、今日は沙恵ちゃんひとり?」
しばらくひとりでいると、舞台役者の坂本さんがやってきた。彼がここに顔を出すのは、実に半年くらいぶりだった。
「うん、ひとり。坂本さん久しぶりじゃん」
「実は引っ越したんだよね」
聞けば坂本さんは、所属劇団の本拠地がある三軒茶屋に引っ越したのだそう。この日は、高円寺にあるハコで公演をした帰り。懐かしくなって寄ったという。
「裏切者だー」
人知れず引越ししたことを責めると、彼は「しゃーないって、仕事が忙しくてさ」と笑う。
坂本さんの高円寺時代は、Uberのバイトに日々を費やしていた。仕事とは宅配のそれであろうと茶化すと、彼は得意げに首を振った。
「実は朝ドラに出てから、本業が順調なんだよね」
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