豊洲の人生勝ち組妻でも幸せじゃない?彼女が裕福と引き換えに諦めた事

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-04-13 06:00
投稿日:2024-04-13 06:00

やっぱりもっと都会で暮らしたい。千佳は決意するが…

 土曜日は朝から雨模様だった。しかも、正信はまた休日出勤だ。

 千佳は気晴らしに新宿へ脱出するため、昼下がりに駅を訪れる。すると、改札口の手前で、誰かが自分の名を呼んだ。

「あれ、千佳さん」

 そこには、この街にいるはずのない女の顔があった。

「芙美さん…?」

「ここ、お住まいの吉祥寺に近いから会えるかなって思っていたら、やっぱり」

 傘から顔を覗かせ、にっこり微笑む彼女。千佳は焦りつつ、ここにいる言い訳を考える。だが、それ以前に芙美の存在に疑問が沸いた。

「――なんでいるの?」

 豊洲に住む子持ちの専業主婦が、わざわざ来る場所だとは思えなかった。

「武蔵野プレイス、建築の雑誌で見て、ずっと来たかったのよ」

 芙美は毎週末、夫からひとりの自由時間をプレゼントされているという。千佳の言葉がきっかけとなり吉祥寺を訪れ、流れでここまで足を延ばしてみたそうだ。

罪滅ぼし、というわけではないけれど

「本当? そのためにって…珍しい」

 千佳が鼻で笑うと、芙美は首を大きく振って否定した。

「私ね、大学で美術と建築の勉強をしていたから。大学卒業と同時に結婚して、全然生かせてないんだけどね」

 はにかむ芙美の顔を千佳は覗き込んだ。

「――大学卒業と同時に?」

「恥ずかしながら、交際してすぐ子供ができたの。その後は夫の駐在もあったからずっと子育てで」

 この街を見上げる彼女の瞳は輝いている。

 右手に提げる本屋の紙袋には、吉祥寺で買ったという洋書と思しき大型本が入っていた。

「ねぇここじゃ何だし、ちょっと時間ある?」

 千佳は思わず、芙美をお茶に誘った。この前の罪滅ぼし、というわけではない。単純に、彼女ともっと喋りたかった。自分が勝手に貼ったレッテルの奥にある、芙美自身のことを知りたかったのだ。

自虐のはずなのに、違って聞こえているのはなぜ?

 武蔵野プレイスの中にカフェがあることは知っていたが、足を踏み入れるのは初めてだった。

 所々にグリーンが施されたオアシスのような空間は、穏やかさと洗練が共存している。エルダーフラワーのドリンクを飲みながら交わす会話は、丸ビルでランチした時とほとんど同じ内容だった。

「千佳さんは今も仕事をバリバリしていて羨ましいな。地に足着けて立っているじゃない。私なんて、夫に頼らないと生きていけないから」

「そんな…芙美さん、頭良かったのに」

「勉強がちょっとできただけ。今はママ友のあいだの立ち回りや、夕飯の献立考えることしか頭使ってないからね」

「もったいない」

 相変わらずの彼女の自虐だ。しかしなぜか、以前と違って聞こえている。

豊洲の勝ち組主婦が望むもの

 芙美は故郷の群馬が恋しいと言う。海沿いの人工的な夜景よりも緑溢れる中でのんびり暮らしたいのだと。

「このカフェ、おしゃれで素敵ね。人の温度を感じる。いいな…私もこういう街に住みたい」

「え、じゃあ引っ越して来たら?」

「あはは。夫も子供もいるからね。夢のまた夢よ」

 ある種の諦めが含まれるその言葉を聞いて、千佳は実感する。所詮、自分はないものねだりなのだと。

 違う立場になったら他のものが欲しくなるのだろうか。

 そんな疑問が浮かんだ途端、窓から光が差し込んだ。

 降っていた雨が止んだようだ。

 カフェ店内を彩る緑が光に照らされて、人と重なり、揺れて、新しい影を生む。

 人と街が作り出す彩りの妙。この街には、実はこんな美しい景色がもっとあるのかもしれない。

この街が好きになれそう

 夕食の準備の時間だと、芙美は腕の高級時計を悲しそうに眺めた。瞳には名残惜しさの色がにじんでいる。

「ねえ千佳さん、吉祥寺なら、途中まで電車で帰りましょう」

「ごめん…実はうち、ここから歩いてすぐの場所にあるんだ」

「ここ武蔵境よね?」

 胸を張って「実は」と頷く千佳に、芙美も深くは追求しない。

 千佳は、この街が好きになれそうな予感が芽生えていた。

――Fin

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


43歳、推し活でお金は減った。でも後悔はない。“推し”と過ごしたあの頃の私を誇りに思う
 アラフィフに差しかかる少し前、私はK-POPの“推し”と出会いました。これまでも長くオタ活を続けてきましたが、その出会...
芸能人も公表…パニックに陥ったら「ダメな人間だ」と責めないで“怖い”と思っていい。今の自分を受け入れる大切さ【専門家監修】
 2012年に59歳で亡くなったロック歌手・桑名正博さんとアン・ルイス(68)の長男でミュージシャンの美勇士さんや、タレ...
魅惑の“にゃんたま”ツーショット♡ 2匹の背比べ、真の勝者は意外なところに?
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
【動物&飼い主ほっこり漫画】連載特別編「春山先生 幼少期の思い出」
【連載特別編】  ベストセラー『ねことじいちゃん』の作者が描く話題作が、「コクハク」に登場!  11月下旬発...
【女名の植物クイズ】夏の花で「あの有名映画の主人公」と同じ名前の品種があるのは?(難易度★★★☆☆)
 知っているようで意外と知らない「ことば」ってたくさんありますよね。「校閲婦人と学ぶ!意外と知らない女ことば」では、女性...
理解不能すぎ!義実家の謎ルール6選。「トイレの水は3回分ためて流す」ってありえる?
 家事のやり方、生活の仕方、人付き合い……それぞれの家庭ごとに存在する「謎ルール」ってありますよね。それが義実家の謎ルー...
花火大会の“有料化”が増えた背景。3万円の高級席も…若者世代は「お金を払って見る」が当たり前?
 今夏も花火大会が大盛り上がり。特に日本三大花火大会の長岡花火は、開催直後のSNSでは観客が撮ってアップした写真や動画が...
まだまだ帰省したくない…私が使った言い訳LINE集。“本当にありそう”な絶妙なウソで切り抜けた!
 この夏、義実家や実家に帰省したことを後悔している人もいるでしょう。「帰省せず1人でゆっくりしたい…」と願う皆さんのため...
めんどくさ! 意味不明な“ママ垢”ルールにゲンナリ…。「成長自慢は禁止」ってなんでよ?
 妊娠出産が初めてだったりママ友がいなかったりすると心細いですよね。そんな中「情報がほしい」「仲間がほしい」と、SNSで...
スナックに「客が来なくなる理由」はどこに? バブル時代とは違う、令和のシビアな現実
 みなさん、ぜひスナックに行ってください! 絶対楽しいから大人になったら一軒くらい行きつけのスナックを…!!  と...
ギャー! 旅行先での恐怖体験6選。友人が車窓を見て真っ青に…満面の笑みを浮かべる人物が
 楽しいはずの旅行で、身の毛もよだつような恐怖体験をしたことはありますか?   この記事では、夏の暑さを吹き飛ばす...
大昔から「究極のモンスターペアレント」は存在した!? 激怒した親がトンデモ行動に…盲目的な愛が生んだ悲劇
 職場や近所、SNS界隈に現れる「残念な人」、いますよね。実は今から約2000年前から現在に伝わる「聖書」にも「残念な人...
ダンディな“にゃんたま様”の色気にメロメロ♡ これはもう、ガン見です
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
「あなたのためよ」に潰されないで。“優しさの押し付け”と戦うために、私が仕掛けた小さな反撃
 この時期になると、毎年思い出すのは姑のこと。実は、新婚当初、私たちは二世帯住宅で姑と同居していました。とあることがきっ...
見事な“おばさん体型”にショック! 食事は1日3食か、1食か…正解はどっちなの?
 女性なら誰でも通る茨の道、更年期。今、まさに更年期障害進行形の小林久乃さんが、自らの身に起きた症状や、40代から始まっ...
やる気が見えない…原因はこれかも。若者が “静かな退職”を選ぶ理由「やるべきことだけ淡々と」が主流に?
「ここ最近、入社してくる若い世代の仕事に対する熱量が感じられない…」「部下が仕事のやる気を出してくれない」とモヤモヤして...