【東京駅の女・小島萌香29歳 #1】
「お待たせしました、萌香さん。お待たせしすぎたかもしれません!」
約束の時間に15分遅れてきたその男性は、肌色が目立つ頭皮を汗でにじませながらフロアの中心でガハハと笑う。
「…小島です。よろしくお願いいたします」
小島萌香は目をぱちくりさせながらも、平静を装うのに必死だった。
JR東京駅直結の東京ステーションホテルにあるロビーラウンジは、結婚紹介所のお見合いで萌香がよく使用する場所だ。
ヴェネチア製のシャンデリアが輝くヨーロピアン・クラシックな店内は、足を踏み入れるだけでお姫様になったような気分になる。
そんな、洗練された空間であるはずなのに…。
せっかくのお見合いが苦痛なだけの時間に
「なーんてね! ははは。高梨です。たかっちと呼んでください」
場違いなダミ声がフロアに響いた。萌香は笑い声を遮るように尋ねる。
「…あの高梨さん、腰のあたりが濡れていますよ」
「すみません、トイレのエアドライヤーが使用中でしたので」
「なるほど…」
「あー、店員さん。僕はショートケーキをお願いします。ドリンクはお冷があるのでいいです。萌香さんは?」
本心とは裏腹な作り笑いの表情筋がどんどん鍛えられていく。
「私はコーヒーだけでかまいません」
「おっ。なら、僕のケーキとセットで注文ってことにしません?」
瀟洒な空間での無駄な1時間は今日も過ぎていくのだった。
35歳、大卒、年収500万円、正社員…でもムリ!
「高梨さん、明るくていい方なんですが、合わなかったみたいですね…」
翌日。オンライン画面の中で、萌香の担当・国崎優枝は申し訳なさそうに頭を下げた。
「もちろん、お断りでお願いします」
お見合いから一日経過しても、萌香の気持ちは揺るがない。国崎からの連絡に対し、キッパリと告げた。
「でも35歳、年収500万円の正社員、大卒、婚歴なし、明るい性格の方ですよ。勿体ないと思いませんか。もう一度会ってみてもいいんじゃないでしょうか」
「いや、でもムリなものはムリなんです。細かな価値観が違いすぎです」
「そうですか。わかりました…。またご連絡いたします」
ディスプレイから国崎の顔が消えたところで、萌香はひとり暮らしの部屋中に響くほどの大きなため息をついた。
“普通”の男すら、私の前に現れないの?
29歳。結婚を意識して結婚相談所に入会し、半年ほど経った。
担当の国崎とはその時からの付き合いだが、今まで、理想通りの人を紹介されたためしがない。
条件や写真ではいい人そうに感じても、実際会うと高梨のような常識や清潔感、思いやりが欠如した人間性を目の当たりにする。
――交際を重ねて、お互いに成長していけばいいと国崎さんは言うけれどね…。
特に昨日紹介された高梨とは、愛し合う姿さえ想像できなかった。
人の容姿をどうこう言うのは気が引けるが、自分はどちらかというと多くの男性の射程範囲には入ると思う。大学時代はミスコンのファイナリストにもなったくらいだ。
――なのになぜ、私の前には“普通”の男性すら現れないのかな…。
昨晩はむしゃくしゃして大切に保管していたはずの赤ワインを開けてしまった。
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