刺激のない生活から解放されたのだ
沙耶は軍資金とアリバイ作りのために、最近、近所のスーパーでパートをはじめた。それに出会うまでは、近所の人の目が気になって、仕事などしようとも思ってなかったことだ。
その行動力に自分でも驚いた。腰を上げたのは、大きく負けた日に、衝動で駅にあったタウンワークを手に取ったことが発端だった(その後、取り返したが)。
今までは、この街に暮らす自分に酔いながら、その優雅の鎖に縛り付けていたのかもしれない。
何の生産性も刺激もない生活を言い訳しながら、誰よりも余裕があることを誇示し、思い込むことで、心の隙を埋めていた。
最近はヨガもサボり気味で、ホームベーカリーもほこりをかぶっている。だけど、そんな自分が好きになっている。
あの場所に足を踏み入れるだけで、すべてが解放された。もうひとりの自分を見つけ出した。脳が、心が、血が、踊りだした。手に汗握ることなど、前職の時に経験した企画コンペ以来。生の躍動が実感できていた。
決して、犯罪や、倫理に反したことはしていない。それなのに、背中に圧し掛かる後ろめたさは、現在の沙耶にとって理性をコントロールするための縛りであり、快楽を割増しで享受するための負荷だ。
カタン。
おもむろに洗濯ものを畳みはじめると、ワンピースのポケットから、銀色が零れ落ちた。夫がそれを拾う。沙耶は無感情で告げる。
「昔あなたが持ち帰ってきたパチンコ玉。ぬか床に入れるといい味出すの」
ヨガ以上に「無」になれる場所を見つけた
彼はすぐに納得してくれたが、少し言い訳がましかったと反省する。そして、その後悔はさらなる楽しみのためのスパイスとなった。
また、今日も午後に駅前に行くだろう。パートを終えて、子どもが帰ってくるまでの2時間は、『わたし』の意識は無になり、心身ともにリラックスできるときだ。これ以上の、シャバーサナはない。
沙耶は、ぬか漬けづくりをまた始めようと決意する。
次こそは腐らせず、鮮やかな色のおいしい漬物を作れると思った。
Fin
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