単位制高校を中退、27歳で科学技術学園高校に入り直した井ノ原快彦の信念
【続・あの有名人の意外な学歴 】#5
井ノ原快彦(元V6)
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「旧ジャニーズ事務所の良心」(制作会社幹部)とも称されるイノッチこと井ノ原快彦(49)。2年前、子会社ジャニーズアイランド社長(当時、以下同)として「ジャニー喜多川性加害問題」の記者会見に登壇。ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子前社長や東山紀之社長と比べ、一切の隠し事をしないという姿勢が徹底されていた。「イノッチがいなければ、あの会見は紛糾し乗り切れなかった。誠実な人柄にジュリー氏らは救われた」と同幹部は振り返る。どうやって、こうした誰からも信頼されるキャラクターは出来上がったのだろうか。
東京・浅草生まれ。小学校に上がる頃に、品川区のマンモス団地に引っ越した。小中とも地元の公立。スポーツは万能だが、勉強は苦手という少年だった。小学校6年の時にジャニーズ事務所に入った。以降の井ノ原の歩みは“ウサギとカメ”の後者だった。
学年が一緒で入所が1年早い香取慎吾は11歳でSMAP入り。やはり同学年で入所は1年後の松岡昌宏は遊び仲間だったが、歌手デビューでは大きく差をつけられた。松岡がTOKIOでデビューするのは17歳の時。井ノ原より入所が2年半後のKinKi Kids(現DOMOTO)の2人のバックで踊ることもあった。後輩にも追い越され焦りが募っても、やめることは考えなかった。20歳の誕生日まであと半年に迫った時、ようやくV6としてステージの前面に立つことができた。
芸能活動だけではない。高校以降の学歴もまさにカメ人生そのものだった。入学した東海大付属望星高校は単位制で、授業は月火木金の4日。時間割も生徒自身で決めるユニークなシステムを採用していた。ドラマにはいろいろ出演していたが、通学する時間は十分、確保できた。だが、生来の勉強嫌い。3年間で必要な単位を取ることができず、高校生活は4年目に突入した。状況を変えようと、同校の通信制に移り卒業を目指したが、結局、中退した。
高校をやめるかどうか迷っていた時、父と相談した。このままではすべてが中途半端になると心配した父は「今は仕事一本に絞れ」とアドバイスした。ただ、条件をひとつだけ付けた。「高校は卒業しろ。30歳ぐらいまでにはな」と──。
父から与えられたミッションが井ノ原の頭の中にずっと残っていた。仕事は忙しくなる一方だったが、27歳の時、一念発起。科学技術学園高校の通信制に入学し直した。高卒の肩書がほしかったわけではない。父との約束を守るのもさることながら、急に勉強がしたくなったのだという。事務所のサイトでエッセーなども手がけ、さまざまな方向にアンテナを張り巡らすようになると、知識欲がぐっと、もたげてきたのだ。望星高校で取得した単位がそのまま生かされたので、1年で卒業することになったが、この時の経験は井ノ原を人間として大きく飛躍させたのだった。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
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