放送作家・新野新さんを悼む 初めてラジオ番組に呼ばれてかけられた、ありがたい言葉
【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#261
新野新さん(放送作家)
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先日、関西を中心に活躍した、放送作家でタレントの新野新先生が逝去されました。享年90。
1978年から89年まで続いた深夜ラジオ「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」(ラジオ大阪)は伝説のラジオ番組でした。リスナーは「ぬかる民」と呼ばれ、私も「ぬかる民」として、延々と続く2人の「うだ話」に魅了されたひとりでした。女子高生の「新世界に来てください」というハガキに、鶴瓶さんと新野先生が新世界を訪問。すると2人を一目見ようと5000人もの「ぬかる民」が集まり、大阪府警の機動隊が出動したという、社会現象を起こしました。
私が漫才を量産していた90年代、初めて新野先生のラジオ番組に呼んでいただきました。誰の漫才を書いてるのかと聞かれ「阪神巨人さん、いくよくるよさん、トミーズ君を中心に吉本の方はほとんど書かせていただいてます」と答えると「みんな本多先生、本多さん言うて大事にしてくれるやろ」と笑顔で言われ、「はい、大事にしていただいてます」と答えた瞬間、「それもオモロイのんが書けるうちやで、書けんようになったら、“アンタ誰やねん?”いうぐらい、見向きもされんようになるのがこの世界やから。それは覚悟しとかなアカンで」と真剣な表情でじっと目を見つめられて言われました。
「覚悟してます」と返すと「ホンマかいな? ホンマに覚悟してんねんやったら立派なことやわ。見向きもされんようにならんよう、忙しいいま、勉強しときや」とありがたい言葉をかけていただきました。
以降、お会いするたびに「書いてるか? 書き続けな書けんようになるから、しんどうても頑張って書きや」と励ましのお言葉をかけてくださり、新野先生がタレント養成所を開校された際には責任講師にお声がけいただきました。「NSCの講師をやっているので、吉本がどういうか確認をとらないとわからないです」と答えると「それやったら大丈夫や、吉本の許可はもろてるさかい面倒見たって」とすでに根回し済みで、以降10年ほど新野先生の下で講師をしたこともありました。
振り返ると、先生の個性的なしゃべり方や引き笑いは覚えていますが、どんな話をしていたかあまり記憶になく……よくよく考えてみると、先生は相手の話を聞いて、豊富な知識の中から合う話題をあてて、相手を光らせていました。「ほう! ほう! それはすごいわ!」と合わせつつ「こういうふうには考えられへんのん?」とさりげなく補足して、ウダ話でさえ面白い話に変えてしまう。根底には自分が放送作家で、裏方だという意識が強かったのかもしれません。鶴瓶さんもそんな新野先生の“引き出す力”で生まれた「作品」のひとつだったのではないでしょうか。
「そういうのんアカンねん」と言いながら、ご高齢でSNSに投稿し、言葉とは裏腹にいつも最先端、時代と共に歩んでおられたからこそ、いつまでもこの世界で生き残ってこられたのではないかと思います。私もずっと新野先生の外弟子だと思ってきましたので、今回の訃報はショックでした。本当にいつも笑顔を絶やさず、少し離れた場所から、時に厳しい言葉も交えながらも、みんなのことを包み込むように温かく見つめ続けておられた方だと思います。
(本多正識/漫才作家)
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