【ある地方都市の女・根上朱里 32歳#3】
都内から鈍行電車で2時間ほどの港町の故郷に朱里はUターンし、古民家を改装したギャラリーカフェをオープンする。しかし、知人以外の客は来ず苦戦する。妥協して地元客受けするメニューを出すことにする中、幼馴染の俳優が客としてやって来て…。【前回はこちら】【初回はこちら】
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大輝の“意外な感想”に愕然
目の前に現れたのは、浜野大輝だった。願ってもない相手であった。
「どうしたの? 帰って来てるの?」
「いやぁ、帰ってきてるっつうか、最近オフは実家で釣り三昧なのよ」
彼はサングラスを取り、少し焼けた顔をクシャッと崩してぎこちなく微笑んだ。
「釣り…? 好きだったの?」
海に近いこの町であっても、仕事にしている者を除き釣りをする人間は意外と少ない。釣りやマリンアクティビティは観光客のものという認識だ。
「最近始めたんだ。ここ出身と言うと、釣り好きだって思われるからさ。静岡人がみんなサッカーをやっているって勘違いされがち、みたいな」
出来もしない釣り関係の仕事が来ることがあるという。だからいっそ好きになってしまおうということらしい。
「へぇすごいサービス精神」
「需要には応えないと。てか、ここで何やってんの? バイト?」
「ギャラリーカフェだよ。イラストレーターやっていたけど、Uターンして地域おこしではじめたの」
大輝は店内を見まわした。すると、力の抜けた笑顔を浮かべてつぶやいた。
「普通にありそうな店だね」
「へぇ。代官山や鎌倉あたりにも普通にありそうな店だね」
朱里はその言葉の意味を考える。微かにチクりとしたものを感じた。てっきり、手放しで褒めてくれるものだと思った。反発心で前向きにうけとる。
「オシャレだって言ってくれているんだよね」
「まぁ…」
ぎこちない表情を見て見ぬふりをして、勢いであの件を持ち掛けた。
「実はここでイベントを計画しているの。ちょくちょく実家に帰っているなら大輝に出てほしいんだ。大輝の事務所にも前、企画書送って…」
「そうなんだ、確認しとくわ」
目を逸らす彼に朱里は、それ以上言葉を交わすのが怖くなって、事務的に注文を尋ねた。彼はミートソースパスタを選ぶ。新メニューの業務用レトルトの食材のそれを。
大盛をぺろりと平らげ「うまかったよ」と感想を残し、すぐに店を出て行った。終始笑顔ではあったが、去ってゆく背中に冷たい温度を感じた。
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