「時代に挑んだ男」加納典明(66)100歳までに絵画でもトップに。「そこまでやらないと気が済まない」
【増田俊也 口述クロニクル】
作家・増田俊也氏による新連載スタート。各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。第1弾は写真家の加納典明氏です。
◇ ◇ ◇
増田「ご両親についてはお聞きしましたが、ご兄妹とはどのような関係だったんでしょうか」
加納「兄貴は俺の3歳上でね、リーマンやってた。名鉄百貨店。ほんとうに実直な人でね」
増田「ある意味で典明さんとは正反対の人生を歩まれた」
加納「そう。でも俺はすごく尊敬してる」
増田「妹さんはたしか2人いらっしゃると」
加納「うん。上の妹はおふくろの血引いて頑張り屋。店も名古屋で5軒くらいやってたこともあるし、小料理屋とクラブとイタリアン。今でも自分の娘に任せたり、譲り出してる。根性入ってていい子ですよ。俺も随分助けられた」
増田「助けられたとは仕事でですか?」
加納「金ですよ」
増田「典明さんがお金で苦労したときに」
加納「そう。もちろん金はもう返したけど、あいつには金以外でまだまだ返さなきゃいけない。俺にとって非常に大切な人間なんだ。面と向かって俺はそういうこと言わないんだけどね。でもほんとうに大切な人間ですね」
増田「下の妹さんはどんな方ですか」
「親父の影響です。顔向けできない」
加納「結婚してないですね。で、外国人と付き合ってて、それと添い遂げりゃいいなと思ってたんですけど、結局別れてしまって。髪結いやってます。美容師。その下の弟は俺の助手をやっていた。8歳下で一番年も離れてるし、俺が写真やる時に助手をちょっとさせました。俺は嫌だったんだけど『そう言わずに使ってやれよ』って親父に言われて。今でも写真で生きてますよ」
増田「たまにご兄妹で一堂に会することはあるんですか」
加納「ありますね。電話でもときどき話すね。兄妹の心配なんか全然しなかったんだけど、この年になるとやっぱりちょっと気になりますね」
増田「名古屋に行かれることは?」
加納「ありますよ。行くとみんな喜ぶし。で、妹がやってる小料理屋とか行くと俺に会いたがってるお客さんもいるしね」
増田「ご実家はまだあるんですか」
加納「いや、それはもうないですね」
増田「東京へ出てカメラマンになったことは、全然、後悔というか」
加納「ないですね。名古屋という街は嫌いじゃない。でも別に故郷がうんぬんっていう感覚はないんですよ。東京は日本の中心であるし、先端であるし、やっぱり高校生の頃から東京へ行きたいっていうのがあって、それを果たして東京へ来て、一応とりあえずトップカメラマンの1人になって、で、まだまだやり足らないことがいっぱいあると」
増田「絵ですね」
加納「そうです」
増田「絵画へのこだわりは相当に強いようですね」
加納「それはやっぱり親父の影響ですよ。親父が目指したものを俺も目指すんだと。100歳までに絵でどこまでいけるか、ひと勝負しますよ」
増田「その覚悟がすごいです」
加納「親父に顔向けできないというか親父を超えられないというか、そういう強い思いがあります。だから絶対やり切ってみせたいです。それも半端なただちょっと有名な画家になってというレベルじゃなくて、これまでの絵の世界で全くなかったゾーンを作ったぞというぐらいまではやらないと気が済まない。もちろん写真も並行して現役でやっていきますよ。若いやつらに絶対に負けたくない」
(第67回につづく=火・木曜掲載)
▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。
▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。
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