「私、まだ終わってない」45歳、気持ちはアラサー。変わり続ける渋谷で“迷走する女”が見た現実

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2025-12-13 11:45
投稿日:2025-12-13 11:45

元恋人と埋め合わせたい20年

 渋谷は夜の10時。

“Bar iris”には私のように『年内閉店のお知らせ』のメールを見て顔を出す人が多く、入れ替わり立ち代わり、お客さんがやってきていた。

 ワンオペの崇は忙しそう。しばらく放置されていたけど、あの頃が思い出されてむしろ心地が良かった。

 ――こうやって、店の隅でずっと朝の閉店まで居座っていたなぁ…。

 同じように暇を持て余していたニット帽男は、執拗に絡んできた。いつもの私ならあしらうところだけど、話は弾んだ。こっちとしても、埋め合わせたい20年があったから。

「マスターは、小さいお子さんいるんだよね」

「小さい子? もう高校生くらいのはずだよ」

「あ、そうか、成長しているのか…」

「全然会っていないようだけど」

 男に酒をごちそうしながら、気にしないそぶりで気になることを聞きだす。彼によると、崇が離婚したのは5年前だという。理由の詳細は不明。性格の不一致だろうと男は言う。

 不思議だったのが、これだけ尋ねたにもかかわらず、男が私の素性を聞き返さないことだった。そのワケはしばらくして判明した。これで最後だとウォッカショットを一気にあおったあと、男は立ち上がってコートを羽織りながら言った。

「あなた、アヤメさんでしょ?」

「――え?」

 ろれつの回らぬ口調だったが、ズバリ正解だった。

「この店の名前の由来を聞いたことがあったんだ。アイリスってアヤメって意味なんだよね。きみの話はよく聞いていたんだよ」

 とっくに、彼の元カノだと気づかれていた。目の前の男と同じ酒を飲んだように、一気に体が熱くなる。

 動揺しているうちに、いつの間にかニット帽の男は消えていた。

ふたりきりの店内。終電の足音は近づいてくる

 お店の客も、いつの間にかまばらになって、そして最後の客がいなくなった。崇は、カウンターの奥まった場所にある流し台で、ひとり、グラスを洗っている。あの頃よりも、厚くなった背中が見えた。彼は私の視線に気づいたようだ。

 なにげなく、目が合う。

「な、なんか…がっしりしたよね。鍛えているの?」

「健康を考えるトシだもんな」

「そういえば、いつも一緒に行っていた裏のカフェ、チョコザップになっていたのびっくりしちゃった」

「カフェが閉店したのは、10年前になるかな。ちなみに俺、今、そのチョコザップに通ってる」

「やばっ」

「やばっ、ってどっちの意味だよ」

 ふたりきりの店内。たわいもない話で数十分。この時間がいつまでも続いて欲しいと思った。

 でも、確実に終電の足音は近づいてくる。

「ちょっとお手洗い」

お手洗いはビル共有。一度外に出る必要がある。私は重い扉を開け、夜風にあたった。感情を冷やして、暴走しそうな車にブレーキをかける。

「あれ…?」

 目に入ってきたのは、店の前の<CLOSED>となった看板だった。

 この店は、オールナイト営業だったはず。思い返せば、あんなにひっきりなしに入店があったのに、しばらくお客さんは来ていない。

 私は閉じた扉をまた開けた。

「どうした? 誰か入ってた?」

 カウンターの外に出て、テーブルを拭いていた男の背中に、私は思わず身を委ねた。

 ブレーキはバカになる。

上司との恋愛を思い出す。あの辞令はもしや…

 薄い壁の向こうから聞こえる、恋人たちの愛し合う声で目が覚めた。

 傍らには、“こと”を終えて上下する昔の男の胸元――「鍛えている」と言っていたものの、長い年月の流れを感じさせる、相応の張りと手ざわりだった。だけど、それさえも愛おしく思えた。

 一晩明けても、魔法はさめていなかった。指先で彼の輪郭をなぞりながら、溶け合った記憶をたどる。

 昨日の晩。すぐ店を閉めたあとは、崇がよく行くという、百軒店のバーへ。そして、いつのまにか円山町の小さな部屋へたどり着いた。

 誰かと同じベッドで寝るのは5年ぶりだった。妻子ある上司と交際していた時以来だ。その上司は、今や会社の取締役である。

 ――あ、もしかしたら、あの辞令は…。

 あの人のことだから、現場でくすぶっている私を良かれと管理職へと引き上げようとしてくれたのかもしれない。

 だけど、私の中では時期尚早だ。出世と言う名の、現場からのリストラである。私はまだまだ途中の人でいたい。まだ、その先には行きたくない。

「どうしたの?」

 大きな私のため息が、彼の顔にかかったようだ。なにも答えず、なにもかも忘れようと、腕の中に顔をうずめる。だけど、やっぱり不安になる。

「…これから、どうするの?」

「まだ日はあるけど、居抜きのいい場所を常連さんに紹介されたんだ。そこでまたなんかやろうかなって思ってる」

 ホテルを出たすぐの後のことを聞いたつもりだったが、崇はなぜか近い未来の自分語りをつらつらとはじめた。

 あいかわらず「らしい」な、と思った。自分目線でしか想像が及ばない性格なのは変わってない。元奥さんが離れていったのもそんなところだろう。

 私もそうだったから。

 だけど、そういう所が大好きだった。自分のことしか考えない人間、似た者同士なのだ。

彼より自分のことが好きだった

 わたしたちの別れの理由は、私の仕事が一番楽しい時に結婚を申し込まれたこと。彼は、念願の店を出して、軌道に乗った後に結婚するライフプランを組んでいたという。

 彼のことは大好きだったけど、私は自分がもっと好きだった。一旦、別れという体裁をとって関係を見つめなおそうということだったが、なぜか3カ月後、結婚の知らせが届いた。

 結局、彼は自分のしいたレールの上で共に走ってくれる人ならだれでもよかったのだ。

 それ以来、崇のことは脳内から消した。だけど、こんなにフィーリングが合って、大好きだった人は、今の人生思い返してみてもいない。

 だからこそ、今こうやって、再び重なっている。

「――今夜、また会える?」

「今夜って、今夜?」

「もちろん。ちょうどSweetSetのトーク&ライブがロフト9であるんだ」

 SweetSet、とは、25年前にデビューした男女2人組の音楽ユニットだ。あのころ、よくふたりでライブに行っていた。ジャンルとしてはいわゆるネオ渋谷系。

「懐かしい…。今でも活動してるんだ」

「解散した時期あったみたいだけどね。最近活動再開したみたい」

 その偶然に、何かの糸がつながったような気がしてならない。

「行く! ライブなんて久しぶり」

「よかった。俺も行きたかったんだよ」

 昨日も会って、今日も会う。スケジュールを見ずに即答する。

私、まだまた終わってない

 年を重ねるたびに、フットワークは重くなり、プライベートの予定も体力の余裕や損得勘定がないと動けなくなっている。

 だけど、今の私の頭にそれはない。学生の頃のように、まっすぐ感覚でうごいている自分に気づく。

 ――私、まだまだあのころのまま、終わってない。

 いまだに、坂の途中にいる。

 想いを噛みしめ、崇を上目遣いで見つめた。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


嫌われ街道まっしぐら! 後輩・部下にやってはいけない4つのこと
「なんだか部下との関係が良くない気がする」「後輩に避けられているのはなんで?」と悩んでいる方必見! 今回は、職場の後輩や...
オトナになっても残る呪縛!「長女をやめたい」と感じた瞬間&苦労あるある
 姉妹(きょうだい)で何番目に生まれたかどうかは、その後の生き方に大きな影響を及ぼしますよね。それぞれの立場でメリット・...
雨上がりの公園、誰にも大切な時間がある 2023.8.11(金)
 おのおのが好きな姿勢で好きなように過ごす人とハト。  近すぎず、離れすぎず。ほどよい距離感ってある。  会...
ペットボトルの炭酸水で考えてみた 物の価格・人の価値は「環境」次第!
 みなさんは“自分の価値”について悩んだ時はありますか? 職業柄と性格のせいで、私はけっこう考え込んでしまうタイプなので...
季節到来・台風や大雨が「大地震」の引き金になる研究も…相関関係は?
 九州・沖縄地方に大きな被害をもたらした台風6号に続いて、お盆休み真っただ中の14日近辺に強い勢力で関東上陸の可能性が高...
のんびりと見せかけて…カメラバックを守る“たまたま”警備隊
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
輸入ものに強い「カーニバル」初体験!高OFF率狙い 2023.8.10(木)
 前々から気になっていたグルメキッチンマーケット「カーニバル」。カルディ、成城石井、ジュピターコーヒーなどの“競合”で輸...
テッパンはなに? お世辞を言われた時の上手な返し方【職場・友人編】
 お世辞を言われた時、皆さんはどのように返事をしていますか?「お礼を言うべきなのか、否定をするべきなのか、イマイチ反応に...
屋外の鉢植え植物をレスキュー!灼熱地獄から守る「正しい置き場所」は?
 観測史上最高気温の更新上げ幅がエゲツなく「地球沸騰化時代到来」なんて言葉、聞けば聞くほど恐ろしいとしか言いようがござい...
そろそろ散髪の時期かな? 2023.8.9(水)
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
無意識ポロリしてない? 今すぐ直したい「人に嫌われる相づち」4選
 話していて相づちが鼻につく人っていますよね。相づちの仕方は癖や習慣になっているケースが往々にしてあり、もしかしたらあな...
新幹線で帰省中、ヤバい親子に遭遇!「お互い様」の解釈について考える
 ステップファミリー6年目になる占い師ライターtumugiです。私は10代でデキ婚→子ども2人連れて離婚→シングルマザー...
安らかに眠れる日は来るのだろうか 2023.8.7(月)
 多くの犠牲と哀しい歴史があった。その事実と人々を決して忘れないと誓った。  いまの僕らは、次の時代に平和を託した...
兄貴に挨拶しなきゃ…ビビりなシンメトリー“たまたま”を激写
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
薄毛ネタは反則ですよね…めんどくさっ!返信に困った「自虐LINE」3選
 自虐ネタはその場を和ませるトークテクの1つ。ですが、相手を困らせてしまうケースもあります。今回は、皆の“対応に困った自...
生きてるだけで偉い! ゆるい人生に胸を張る 2023.8.6(日)
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...