紙上再録「TAMORI80~勝手にタモリ80歳大生誕祭‼」(1)
間もなく「戦後80年」が暮れようとしている。「終戦の日」からちょうど1週間後、1945年8月22日にタモリ(本名:森田一義)が生を受けてから今年で80年。その記念すべき誕生日の前夜に東京・南青山「BAROOM」で「スージー鈴木のレコード研究室 特別編」として、「TAMORI80~勝手にタモリ80歳大生誕祭!!」(日刊ゲンダイ後援)が開催された。
「戦後民主主義の申し子」が桑田佳祐なら、タモリは「日本の戦後そのもの」だ──。
そう言い切る音楽評論家・スージー鈴木氏(59)の呼びかけの下、「タモリ論」の著者で作家の樋口毅宏氏(54)、「タモリ学」の著者でライターの戸部田誠氏(てれびのスキマ=47)という当代きってのタモリ論客が集結。日刊ゲンダイの奇人・今ラチ夫(51)も加わり、タモリの大きな功績を語り合った伝説のトークショーを紙上再録する。
第1回は「私たちのいちばん好きなタモリ・イヤー」(全3回の前編/中編・後編)
◇ ◇ ◇
■フジテレビの昼は「いいとも!」を再放送すべし
スージー鈴木(以下=ス)タモリの本当のストーリー。もっと言えば「戦後80年」、「タモリ80年」というテーマのシンポジウムということで行きたいと思います。
樋口毅宏(同=樋)僕、この今、会場にいる中で一番タモリについて詳しくないですよ。
ス)めっちゃ書いてますよ。(タモリ論は)10万部くらい売れています。
樋)ぜんっぜん、詳しくないのにタモリについて書いて、それがまかり間違ってベストセラーになって、それを読んだ頭がおかしい女に「泣きながら一気に読みました」って言われて、その女と結婚して今、子供がいるっていう。本当に自分でもよくわからない状況に巻き込まれちゃったの。
ス)それ、よくテレビに出てはる方ですよね。
樋)三輪記子(弁護士)って言う。きょうは珍しく「子守り」をやってもらっています。いつも自分がやってることを。
ス)じゃあ、きょうは記子さんがいないので、好き勝手しゃべってください。
樋)なんでこいつ、タモリについて詳しくないのにタモリの本を出してんだって。大丈夫、中澤新一だってチベットに行ってないのにチベットの本書いてるんだから。
ス)「笑っていいとも!」が終わったのは、2014年。
樋)あっ、じゃあもう10年経ってんだ。お昼が退屈になってから。もう10年を迎えますか。
ス)今、フジテレビって、あの枠なんだっけ?
今ラチ夫(同=今)「ぽかぽか」です。
ス)名前が浮かばないですもんね、番組のね。
樋)だから、もう常々言ってんの。もうお昼12時、毎日「いいとも」の再放送しろって。
(会場拍手)
ス)それ見たいな、初期のやつ。
樋)「今日は1987年の6月13日からお送りします」とか、ちゃんとテロップ入れて。「現代的視点から見れば問題なところもありますけれども、オリジナルを尊重してそのまま放送します」って。ゼッタイ! その方が(視聴率の)数字いいから。
ス)リクエストがあるといいですね。「安産スッポン!」とか。
■1981年36歳で自らインテリを表明
ス)ひとネタ目はこれでございます。「私のいちばん好きなタモリイヤー」。何年のタモリが好きかということであります。まず、私が好きなのは「1981年のタモリ」です。先に僕、司会なんで言いたいこと、言っちゃいます。
「今夜は最高!」(日本テレビ系)とか、10月から始まった「夕刊タモリ!こちらです」(テレビ朝日系)っていうニュースをパロディーにした番組があって。製作は「フルハウス」なんですよ。後の「ハウフルス」。知的な、割と〝インテリ殺し″みたいなところがあって。この番組では時事ネタとか、タモリがインテリに向けて喜ぶようなネタをやり始めて。その時、批判が多かったんです。もう、イグアナのモノマネじゃなくて、ちょっとそういう方向に行くのか、とか。覚えているのは、ビートたけしが「タモリなんてエセ・インテリだよ」とか批判して。僕ね、グッときたんですよ。81年のタモリチルドレンです。
「今夜は最高!」にコメディアンの藤村有弘がゲストで出演し、灰皿を持って、偽フランス人のタモリが灰皿を持って「あいざー」って言ったんですよ。これ、何かっていうと、フランスでは「ハ行」(の発音)がないってネタです。それを見て、エセ・インテリのウチのおかんが「この人は頭ええな。フランス語、知ってるわ」とか言って。僕も「タモリ、頭いいな」と思ったんですよ。後に、たけしが「あんなものはエセ・インテリ」って批判して、80年代後半はね。僕、その言葉を聞いて、ちょっと俺は騙されたのかと思ったんですよ。
でもね、今日言いたいのは、そこから平成以降、「芸人はバカじゃなきゃダメ」って空気になるじゃないですか。インテリとかじゃなくて。みんな松本人志以外だって、みんな松本人志の奉仕にする、同型にならなくてはいけないようなムードになって。「あー、コメディアンだけど、インテリとかっていうのをちゃんと表明したタモリはいいなー」って思ったのが、81年でございます。しゃべりすぎました。ありがとうございます。
戸部田誠(同=戸)81年ってタモリさんの本当のターニングポイントのひとつ。それを象徴するのが、タモリさんを起用した新聞広告の秀逸なコピーです。「1年前、女性たちが一番嫌いに挙げた人なのに、今年は一番好きな人です」っていう。だから、もう本当に「普通の人たち」に受け入れられた年なんですよね。
ス)翌年が「いいとも!」(の放送開始)ですよね。スキマさん、そのTシャツは何ですか?
戸)福岡でイベントした時に、主催した人が作ってくれたんです。「中洲産業大学」。
ス)メッチャ欲しいな。どこかで売ってるんですか?
戸)売ってないです。
■1982年37歳で「夜の顔」から「昼の顔」に
ス)樋口毅宏さんは、その次の1982年。好きなポイントはありますか?
樋)やっぱり、「いいとも!」と「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系)が始まる年ですかねえ。
ス)「いいとも!」の放送開始がこの年の10月4日ですって。その頃はもちろんリアルタイムですよね? どんな印象でした?
樋)やっぱり、(番組)プロデューサーの横澤(彪)さんがよく言っていたように、(当時の)タモリって、もう「夜の時間の人」だったですよ。イグアナの芸とか、とにかく変な人が「何でお昼に出てるんだ!」っていう感じですよ。覚えてる人も多いと思うんですけど、「いいとも!」の前はね、「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)があって、大漫才ブーム。「B&B」とかが出演していて。九十九一さんも後半にその曜日のMCを担当して。当時は「MC」なんて言葉もなかったですけど。
ス)いいワードですね。「ツクモハジメ。皆さん覚えています?
樋)で、子供心にまだ漫才ブームが続いてるのに、まだ視聴率とか安定してるだろうと思っていたら、横澤さんがバッサリと「笑ってる場合ですよ!」をやめて。後になって何で横澤さんが終わらせたかと言うと、楽屋に行ったら芸人たちが女とカネの話しかしていない。それにイラついたので「タモリがいい」と。そう横澤さんが言い出して、10月に今度は「笑ってる場合ですよ」から「笑っていいとも!」と。正直、漫才ブームは社会現象になっていたし、その後釜なんですよ。おっきい、おっきい穴をそんなもので埋まるはずがないって、子供心に思っていたんですよ。そしたら、もう、とんでもないことが起こったっていう。
タモリさんもタモリさんで、多分、そんなもの続くはずがないっていう風に思っていたと思うんです。現に10月に番組が始まって、年末年始には奥さんとハワイ旅行に行くチケットを買っていたって言うんですよね。
ス)いい話ですよね。
樋)でも、それはタモリさんなりの、芸人としての「願掛け」だったなと思う。これをフイにするっていう。その願掛けがまさに叶うわけなんですけれどもね。本当に僕、タモリさん、そんな詳しくないんですよ。だけど、以前、本当に好きだった番組が「笑っていいとも!」と「タモリ倶楽部」で、大体、意識しなくても見た番組がクッだらないくらい頭の中に色々と入っている。本当に2大番組ですね。他は僕、(タモリの番組は)全然覚えていない。この間も「プラタモリ」(NHK)とか見たけど、どこが面白いのか全然わからないし。
ス)「いいとも!」が始まった頃は見ていらっしゃいました? リアルタイムで。
戸)僕はまだ幼すぎて。1978年生まれなんで。
ス)あ、そうか。4歳じゃまだ見てないか。後から振り返って「いいとも!」の誕生の瞬間とか、どんな感じですか?
戸)やっぱり、それはタモリさんを選ぶっていう、すごさですよね。
ス)確かに異物感あったもんなあ。初め2年ぐらいまで。なんか、異物感があった気がします。けどね、いつか突然、どっかで跳ねるんだよなあ。
(中編につづく)
エンタメ 新着一覧
















