インテリ2人と不良1人 シティボーズは3人でやってこなければ辞めていた
【今週グサッときた名言珍言】
「俺は40年間、この2対1でずっとやられてるんだ」
(大竹まこと/テレビ東京系「あちこちオードリー」3月5日放送)
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いまでは個人の活動が多いシティボーイズだが、ひとたび3人で集まればその関係性はコントのよう。あるとき、ラジオ番組で斉木しげる(75)が、スーパーで売っているおいなりさんが3個入りと7個入りでは、後者の方がおいしいと言い出した。すると、大竹まこと(75)はそんなわけがないと反論し、やがて大ゲンカになったという。結局、つくっている会社が違うから味が違ったという話なのだが、斉木はそれを説明していなかった。
「俺は信じる派なんだよ。(大竹は)全部斉木の言うことを疑うんだよ」ときたろう(76))に言われ、大竹が苦々しく返した言葉を今週は取り上げたい。これに対し、斉木は泰然と「俺は意外と嘘は言わないのよ。ただ、間違ったことは言うかもしれない」と言った。
そもそも3人は大学時代に入った劇団「俳優小劇場」の養成所で出会った。養成所のメンバーだった風間杜夫らと劇団「表現劇場」を結成。その中から先に風間が「蒲田行進曲」で大ブレーク。そこから3人に火がついた。
2人はとてもインテリだからね
「よく考えたら、お笑い界っていま手薄だよな」(コアマガジン「実話BUNKAタブー」2024年6月号)と大竹が言い出し、シティボーイズを結成した。初めて打った単独ライブのタイトルは、斉木発案の「思想のない演劇よりもそそうのないコント!!」。この頃、演劇界では「思想の押し付け」のような新劇が主流で、そのカウンターだった。彼らは作・演出家の宮沢章夫らと合流し、新たな潮流をつくっていく。その後も作・演出家の三木聡や細川徹らと組み、下の世代に多大な影響を与えた。その理由をきたろうはこう分析している。
「他の人がやっていないことを絶えずやろうと思っていたからじゃないかな。(略)新しいことが好きな人には好かれたんだと思う。あとはかすかなインテリジェンスが感じられるところかな、若い人に影響を与えられたとしたら」(CINRA,Inc.「CINRA」15年10月26日)
大竹が「2人はとてもインテリだからね、そういうエキスを吸いたいと思ってたから、離れないでいたんで」(フジテレビ系「ボクらの時代」15年5月31日=以下同)と言うと、きたろうは「俺なんかもインテリだけど、大竹の不良性に憧れてたからね」と笑い、斉木は「勢いっていうかストレートなパワー。あれは俺らにはないな」と言う。そして「3人でやってこなければやめていただろう」という大竹に、2人は「俺もそうだよ」と強くうなずくのだ。
(てれびのスキマ 戸部田誠/ライタ―)
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