慶応幼稚舎の願書備考欄に「親族が出身者」と書くメリットは? 縁故入学が横行していた過去の例
【お受験のリアル】#6
早実初等部vs慶応幼稚舎(6)
◇ ◇ ◇
私立小学校最難関の慶応幼稚舎の入試攻略本を見ていると「家族に慶応出身者がいるのなら、願書に記入しておく」といった一文を目にすることがある。願書には父母と兄弟の氏名・年齢を記入する家族の欄があるが、学歴を書く場所は見当たらない。攻略本は、家族欄の横にある備考欄に慶応出身であることを書き加えておけば、受験に有利に働くとアドバイスする。だが、「まったく意味がない」と一笑に付すのは幼稚舎の関係者だ。「こざかしく映り、むしろ逆効果」とまで言い切る。
誤った説が攻略本に堂々と載るのは、それが巷でずっと信じられてきた表れ。幼稚舎出身の慶応大教授も「かつて、近い親族に慶応OB・OGがいれば、合格しやすかったのは事実」と話す。
「幼稚舎の保護者会に集まるのはほとんどが塾員(慶応OB・OG)で、さながら同窓会のようだと父が語っていた」
■石原慎太郎の息子、森英恵氏の孫のパターン
40年以上前の記憶をたどる教授だが、幼稚舎の生徒の家族に慶応出身者がやたらと目立つ状況は少なくとも四半世紀前までは続いていたようだ。それは親に塾員がいるケースだけではない。幼稚舎に合格しやすいもうひとつのパターンは兄や姉に塾生(慶応の現役生)がいるケース。それが幼稚舎ならなおさらだ。実際、幼稚舎出身の有名人を見ても、兄弟がそろって幼稚舎というパターンは多い。石原慎太郎・元都知事の息子4人のうち次男・良純、三男・宏高、四男・延啓が幼稚舎出身。
「慎太郎さんは一橋大出身で慶応とは関係がないが、叔父の裕次郎さんが塾高出身。何より大きいのは長男の伸晃さんが中学から慶応普通部に入学したこと。慶応への橋頭堡を築き、弟たちの幼稚舎への道を切り拓いた」(慶応大教授)
慶応大理工学部教授だった千住鎮雄氏の子どもの博、明、真理子、ファッションデザイナー森英恵氏の孫の研、勉、泉、星の兄妹も幼稚舎出身だ。挙げだしたらきりがないが、ここに名前が登場したOB・OGたちはいずれも20世紀中に幼稚舎に入学している。21世紀に入ると、こうした例はガクッと減る。99年4月から3年半にわたって幼稚舎の舎長(校長)を務めた金子郁容・慶応大教授(現名誉教授)が入試改革に踏み切ったからだ。
「自身も幼稚舎出身の金子先生は縁故入学が横行していたことを承知していた。これを変えなければ時代に取り残され、名門小の地位も失うと危機感を抱いていた」と振り返るのは金子氏をよく知る前出の教授だ。入試は受験者本人の実力で判断するべきという強い意志を金子氏は持っていた。
改革のひとつは、願書の家族の欄を簡素化したことだった。まず、祖父母の欄をなくした。それまでは、祖父母の氏名に加え、学歴や経歴まで書かせていたのだ。
「おじいさんが慶応の重鎮だったり、政財界の大物だったりすると、それだけで合格していた。そんなことはもうやめようというのが金子先生の主張だった」(同教授)
前述の通り、親と兄弟も願書に記入するのは氏名と年齢だけにした。さらには「親の素性など関係ない」という方針を徹底するように、保護者面接もなくした。
一方、ライバルの早稲田実業初等部は創設以来、入試の親子面接を続けている。「かつて親の入試とも称された幼稚舎が"らしさ"をかなぐり捨てたのとは対称的」と幼児教室経営者。「独立独歩」を校訓とする早稲田だが、小学校ではすっかり早慶が入れ替わったような感じである。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
◇ ◇ ◇
「慶應ブランド」はいつの世も最強カードかと思いきや、思わぬ事件で権威に傷がついてしまった。関連記事【もっと読む】櫻井翔、猿之助、岸田首相長男で「慶応ブランド」危うし…芦田愛菜がイメージ回復の救世主?…では、「ダメ慶應」の面々と、それを跳ね返せる人員について伝えている。
エンタメ 新着一覧