ジュディ・オングさんデビュー秘話「オーディションなしでその場で合格になっちゃんたんですよ!」
【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#242
ジュディ・オング
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1979年、「魅せられて」が200万以上を売り上げ、一世を風靡されたジュディ・オングさん。
私はそれより前に放映されたナショナル劇場のドラマ「S・Hは恋のイニシャル」(69年、TBS系)ですでに“魅せられて”いました。打ち合わせでその話をすると「見てくださってたの!? もっと早くお会いしとけばよかったですね。あの頃は10代だから30年以上前でしょう。おばあちゃんになっちゃって」と苦笑いをしながらも喜んでくださいました。
ジュディさんはお会いしてきた数多くの女優さんや歌手の中ではピカイチに奇麗で「知性美」とはこういう方かと思わせる存在感のある方でした。立ち居振る舞い、所作、言葉づかい、スタッフへの気配りがこれほど自然でスキなく、トークの際は、相手の目を見つめて決して外さない。どんな質問にも「イエス・ノー」をハッキリ答える、これほど気品あふれる方は初めてでした。
MCの(トミーズ)雅くんが4カ国語のマルチリンガルについて伺うと「父親の言うことは絶対でしたから家では母国語の台湾語、中華学校に行ってたんで国語として共通中国語(北京語)を習って、ご近所の友達と遊ぶ時は日本語、家庭教師に英語を習ってましたから、自然に4つ話せてましたね」「どんな頭してまんねん!」と驚かれると頭を指さして「こんな頭ですけど」「うわ~ちっちゃいアタマ! って違いまんがな!」とツッコまれると「そういうふうにツッコんでくださるんですね!」と感激されていました。
劇団ひまわり出身ということで、芸能界に興味があったのかと思えば「それがぜんぜんなかったんですよ。たまたまお友達がオーディションを受けるのでついてきてって頼まれて行ったら、私もいろいろ質問されましてね。日本語と台湾語と北京語と英語ができることを話したら、オーディションなしでその場で合格になっちゃったんですよ!」とびっくりされたような顔で答えられたんで、雅くんが「そら合格さすわ!9歳のかわいらしい子が4カ国語話したら“金の卵”ですやん!」「お話を伺ったら、いろんな方に会えるし楽しそうだなと思って、父に話したら大反対だったんですけど、勉強もきちんと両立させるという条件付きで許してもらったんで、しっかり勉強もしましたね。もしお友達について行ってなかったら今はないんです。だから、チャンスがあれば自分がやりたいと思ったら一生懸命にやること。やると決めたら責任を持つことが大切だと今も思ってますね。友達に感謝、劇団に感謝、父に感謝」と責任と感謝を強調されていたのが印象的でした。
夢は何語で見るのかという質問に「(本多の記憶ですが)後から習った英語で見ることが多いんですよ。なぜなんでしょうね?」と不思議がっておられました。
毒蝮三太夫さんのYouTubeでは、三国志の話を交えて世界平和について語り、三国志の有名な「七歩詩」を中国語でとうとうとそらんじていらっしゃいました。毒蝮さんのような知識の豊富な方、バラエティー番組と、話す相手やシチュエーションに合わせて必要な知識、言語をご自分の頭の中の引き出しからサッと出せるチューニングとアウトプットに優れているのがジュディさんの知性だと思います。これが求められてもいないところで過剰に情報を出すと単なる自慢話になってしまいますが、話を聞いているうちにこちらも知識が身につき「なるほど」と思うので嫌みがない。これが本当の知性・教養なのだと思います。
何を聞かれてもほほ笑みを絶やさず、それでいて凛として、真剣に受け答えされる本当にすてきな方でした。
(本多正識/漫才作家)
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