G-cupグラドル清水あいりさん「この大きな胸が邪魔者で、ずっと切り落としたいと思っていたけど…」
【その日その瞬間】
清水あいり(タレント)
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清水あいりさんのキャッチコピーは「グラドル界の坂田利夫」。悩みのタネがGカップの大きな胸だったというのは意外だが、そんなコンプレックスを払拭、胸が長所・武器に変わる転機になった出来事とは……。
■キャッチコピーは「グラドル界の坂田利夫」
私が「グラドル界の坂田利夫」と言っていただけるようになったのは5年くらい前のことです。ダウンタウン浜田雅功さんの番組に出演した際、番組でそうキャッチコピーをつけて紹介してくださったのが最初です。坂田さんが「アホの坂田」と言われて人気なのは有名です。その頃の私はというと、「アホエロい」と言われていました。そのアホエロいキャラと坂田さんのキャラから「グラドル界の坂田利夫」とつけてくださったみたいです。
私は大阪出身。関西人からしたら坂田さんて「神」のような存在じゃないですか。「グラドル界の坂田利夫」というキャッチコピーはそれ以来使わせてもらい、話題になったのですが、できれば私も許可を取りたいから坂田さんとご一緒できないものかと思っていた矢先に亡くなられてしまって。それはとてもショックでした。今も自己紹介の時にこのキャッチコピーを言っただけでフッと笑ってもらえたりするので、すてきなキャッチコピーをつけてもらったと思っています。実は私は顔も坂田さんと似てると思う時があるんです。タレ目やし。似てないですかね(笑)。
私のコンプレックスは胸が大きいことでした。小学校から大きくなり始め、学生時代、男の子たちからずっと卑猥なこととか嫌なことを言われ続けてきたので、これ(胸)はいけないものなんだと思って生きてきました。そのために胸を隠そうとして猫背になってしまった。今もずっと猫背で悩んでいます。
上京してからもバイト先で「初めまして」の挨拶よりも先に胸のことを言われるのが当たり前でした。18歳の時ですが、舞台で共演した役者さんたちと親睦会がありました。当時50代の俳優さんが私のことを指さして「あの子、ダッチワイフみたいだよな」と胸が大きいジェスチャーをしながら笑っていて、私は何のことかわからず、帰り道に調べてわかったのですが、まだ若かったこともあり、とてもショックを受けました。
一生懸命なにかをしていても結局、そんな目で見られるのかと思ったら、自分の胸に嫌悪感しかなかったですね。これはいけないものだから切り落としてしまいたいと思いました。
巨乳でも2パターンあって、自信があってすっごく堂々と歩けるタイプと、私のように恥ずかしくて胸を張って歩くことができないタイプがいます。いい思いをしたことが一度もないから、やっぱり胸が邪魔者のように感じて切り落としたいとずっと思っていました。
そうやって何年か切除しようか、いやいや痛いし怖いしと悩んだ末に、グラビアモデルになろうと決めたんです。それは、コンプレックスを武器に変えるには、あえて世間にさらして武器に変えざるを得ない状況に持っていくしかないと思ったからです。でも始めた頃はなかなか武器に変えられず楽しめなかったですね。グラドルとして撮影会に出ても、違う事務所の子に「胸さえあればファンがつくからいいよね」と嫌みを言われたりして。
ピース綾部祐二さんのひと言で変わることができました
そんな私にとっての転機は22、23歳の頃、「妄想マンデー」というAbemaTVのネット番組に出たことです。MCだったピースの綾部祐二さんが、「無理して頑張らなくていいからね」「リハーサルのままの感じでいいから」と言ってくださったんです。私は他のグラビアの子のように元気いっぱいのタイプじゃないし、いつも頑張って声を出すようにとか、元気がないとよく言われていたので、意外でした。
それまで番組のオーディションを受けても、しゃべり方や声から服装、しぐさまで全部ダメ出しされ、初めて会った女性に「よくそれでオーディションに来たね」と存在そのものを否定されたことがあるくらいなので、綾部さんのひと言がうれしくて……。
それで普段のしゃべり方のような、関西弁でセクシーに胸を強調しながらしゃべったのですが、それが受けて笑いになり、一気にモヤモヤが晴れた気分になりました。セクシーも笑いになるということに初めて気がつき、目からウロコでしたね。セクシーなこの胸で笑ってもらえるならもっといろんなことができそうと自信にもつながった。結果的にセクシー一本路線からほんの少しの笑いの要素という道が見つかり、要するに、胸もセクシーも笑いに変えちゃえば私は楽しめるんだということだとわかったんです。それまで胸が邪魔者で切り落としたいと思っていたけど、その瞬間から胸とひとつになったような気がしましたね。これからはずっとこの子と一緒だ、一緒に闘っている仲間なんだという感覚になりました。
それ以降は無理して明るく振る舞うこともなく、お仕事も楽しくなっていきました。
最近、やってみたことは、同じ大阪出身の幼馴染みと大阪を感じる旅に行ったことです。大阪を再確認するために、海原やすよともこさんの漫才を見ようと。それは予定が合わなくて見ることができず、代わりに吉本新喜劇を見ることができたのですが。終わった後、なんばの焼き肉屋さんに行ったら、店長さんが声をかけてくれたので、「新喜劇を見てきました」と言ったら、「何か得るものがありましたか。楽しみにしてますよ」と言ってくれた。セクシーなことではなく、もっと違う私に期待している人もいると思ったら、とてもうれしくなりました。
(聞き手=峯田淳)
♡清水あいり(しみず・あいり) 1992年12月、大阪府出身。2007年に映画デビュー、グラドルとして活躍する傍ら、バラエティー番組などで人気に。6月にアパレル「miacharme(ミアシャルム)」を立ち上げ展開中。
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