遠野なぎこ“重い演技”の裏にあったもの…朝ドラ女優の確かな演技力でも抜けきれなかった哀しい生い立ち
今から24年前のことである。熊井啓監督からのご指名で、新作映画「海は見ていた」の現場密着ルポを頼まれた。これは山本周五郎の「なんの花か薫る」と「つゆのひぬま」を原作に黒沢明監督が書いた幻の脚本を、熊井監督が潤色して映画化にこぎつけたもの。江戸時代、深川の岡場所を舞台にお新と菊乃という、2人の遊女を描いた作品だ。
このお新を演じたのが、21歳の遠野なぎこ(当時は遠野凪子)。彼女は熊井監督の前作「日本の黒い夏─冤罪─」(2001年)で松本サリン事件を調べる高校生を演じて注目され、ヒロインに抜擢された。同作は日活創立90周年の大作。その主演にNHKの朝ドラ「すずらん」(1999年)のヒロインを演じたとはいえ、当時新人の遠野なぎこをキャスティングしたと聞いて、最初は驚いた。熊井監督はこれで彼女をスターにしようとしていた節があり、私はその見届け人として呼ばれたのである。
撮影は01年の7月から9月まで行われた。
劇中でお新は、若侍の房之助(吉岡秀隆)や職人・良介(永瀬正敏)と恋に落ちる。客の男を本気で好きになるお新には、気持ちがすれていない純粋さが必要で、現場での遠野なぎこには一途な思いの強さが出ていた。ただ何度か撮影を見学するうちに、演技の“重さ”が気になった。お新は最後に岡場所を襲った大洪水の後、良介と小さな希望を見つけて船出していかなくてはいけない。重さの先に、すがすがしさが漂う感じが欲しい女性なのだ。
熊井監督に「思いの強さがあるのはいいが、気持ちの出し方が重い。これでは男の方が重荷に感じてしまうのでは?」というと、「あの子はかわいそうな過去を持っているんだ。それがお新と重なって、ああいう演技になるんだと思う」と監督は言っていた。
この時、遠野なぎこが幼児期から母親に虐待を受け、15歳で摂食障害になり、16歳で睡眠薬自殺未遂を起こしたことは、まだ知らなかった。しかし自分が不幸せだからこそ不幸せな男性に同情し、恋してしまうお新のキャラクターには、どこかシンクロする部分を感じていたのだろう。監督はそんな彼女から幾分かでも“重さ”を削り取ろうとしたし、彼女もそれに応えようと悩んでいた。だが最後まで不幸の影を背負った重い表現から、遠野なぎこは抜け出すことはできなかった。
2002年に公開された映画は、興収3億円と惨敗。遠野なぎこにとって最後の映画主演作となり、その後は「冬の輪舞」(2005年)、「麗わしき鬼」(2007年)と、東海テレビ制作による昼ドラのヒロイン役に活路を見いだしていく。
しかし女優としての活躍はこの辺がピークで、以降はバラエティー番組の出演が多くなった。今でも「海は見ていた」のときに、お新と自分が抱えるネガティブな人生観の先に、表現者としてささやかな希望を見つけられたら、彼女の女優人生は違ったものになった気がしている。はっきりとしたことは今も不明だが、その孤独な行く末が悼まれてならない。
(金澤誠/映画ライター)
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朝ドラ女優の多くは、朝ドラがきっかけで飛躍して人気女優の仲間入りをするケースもあるが、それがかえって“重し”となり伸び悩む人も…。●関連記事【もっと読む】『遠野なぎこが吐露していた「朝ドラ女優の重圧」 橋本環奈も黒島結菜も…キャリアのマイナスになるケースも』で詳しく報じている。
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