歌手・畑中葉子さんが故郷・八丈島の台風被害と復興支援ミニライブを語った
歌手の畑中葉子(66)が10月30日に来社。25日に行われた、故郷・八丈島での復興支援ミニライブと八丈島の台風被害について語った。
――10月9日から台風23号、24号が八丈島を直撃。台風中継だけで、その後の災害については全国的にはあまり知られていない。
「中心の気圧は940ヘクトパスカルととても大きなものでした。普段の台風の規模は60ヘクトパスカルぐらいでしたから、想像できない大きさで、高台に避難したのに、今度は山側からの土砂崩れで2度避難するという事態も起き、いまだに家が骨組みだけになっていたり、がれきだらけです」
――島の様子は想像以上だった?
「コンサートの前後に島を回ると、土砂崩れで通行止めの箇所もありますし、断水している地域もありました。土石流から逃げてきた方も、いまだにその時の音が耳に残り、夜眠れないというお話も聞きました。子供たちがダンスを習っていた場所もなくなってしまって、閉塞感は否めません」
――そんな中で畑中さんは被災者にできることを模索。
「うちの父は八丈島で建設会社を営んでいて、台風になると合羽を着て島の人の家の困りごとを直しに行っていました。それだけでなく、建設の仕事でも、図面が読めると出稼ぎでも給料が上がるからと寺子屋を開いたり、とにかく島のためになることを率先してやっていた。そんな父の背中を見て育っていたので私も何かできないかと。でも、物資を送ろうにも貨物船の欠航が続くたびに救援物資や親戚からの荷物が積み切れず、今も滞っている状況です。そんな中、避難所になっているホテルがレクリエーションをするというのを見て、ホテルで歌を届けることはできないかと申し出ました」
――ライブに行く前にはたくさんの買い出しも。
「水がないのでそのまま食べられる野菜の入ったレトルト食品と、じっとしている子供たちにハロウィンのお菓子が欲しいというので、衣装用のスーツケースいっぱいに詰め込んで行きました。子供たちに笑顔が戻ってよかったです」
――食料含め、物資はかなり滞っている?
「パンを買って配ろうと島のパン屋さんに問い合わせても、パンを作る粉がない、水がないので作れない。島の中で経済を回すこともできません。焼酎を作るにも材料がない、仕事がない状態です」
――ライフラインはいまだ復旧の道は遠い?
「台風被害の当初は電気もなく、スマホも使えない。壊滅状態でした。飲料水はようやく自衛隊の給水場で補給できるようになりましたが、生活水が足りず、雨水を貯めてトイレに使っているそう。八丈島は塩分が強く、車も洗車できないとすぐ痛むし、車の修理部品も届かず、問題は山積。地元の酒造も稼働できていません」
島民の皆さんが元気でいてくれることが私の幸せ
――ライブも大盛況だったそう。
「『カナダからの手紙』や、島のことを書いた『八丈島からの手紙』などを歌わせていただき、皆さん、歌を歌うことで気持ちが和らいだようでした。ライブ中、私が歌詞をど忘れして、途中で演奏を止めてしまったら、みんなが笑ってくれて。それがきっかけで表情が明るくなりました。ケガの功名ですね(笑)」
――ライブの後は島民と語らう場も。
「私も親戚みたいなものなので、島の惨状を聞いてくれる、島外の人と語らうことも嬉しかったそうです。息抜きになれただけでも嬉しいですね。私が13歳まで育った故郷ですから、島民の皆さんが元気でいてくれることが私の幸せでもあります」
――まだまだ八丈島には課題がある?
「今回良かったことは誰も死者が出なかったことですが、このままでは二次災害で命が失われかねません。島民は自助の気持ちが強く、人に頼らない強さがありますが、今回の災害は島外の皆さんや公の力を借りなければなかなか難しい。あしたば工場など産業も全壊で大打撃で、今後も長期で復興支援が必要だということを皆さんに知っていただきたい。ようやくホテルも再開するので、ぜひ観光で支援していただけたらと思います。私にできることは歌で勇気づけること、そして八丈島のことが忘れられないよう、今後も発信し続けます」
(取材・文=岩渕景子/日刊ゲンダイ)
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