都会に暮らす自分に酔いしれる綾乃の居場所
――私って、社会のヒエラルキーの中ではどのくらいの位置にいるんだろう…。
散歩がてら、現在の職場である大学病院へ向かう中で綾乃はぼんやり考える。自身に問いかけながらも、答えの予想はついているのだが。
綾乃の世帯は、一般的にパワーカップルと呼ばれている。都会暮らし、持ち家持ち、夫婦ともに正社員で、世帯年収は1500万を余裕で越えている。
そもそも、肌感覚で世間の勝ち組グループにいることは自覚している。
この物価の高い時代の中でも、好きなものを買い、食べ、余暇には出費を気にせず旅行にも行けるのだから。
「鈴木さーん、ごきげんよう」
本郷通りの坂を下っていると、子供が同じ知育教室に通う藤堂さんに車の中から声をかけられた。
「おはようございます、藤堂さん」
彼女が運転するランボルギーニの助手席には、制服を着た息子の賢至くん。きっと幼稚園への送りの最中だろう。
着飾っているわけではないが清楚で上品な身なり。彼女は綾乃を見つけるといつもわざわざ停車して、挨拶をしてくれる。
一点の曇りもない穏やかな笑顔は、心の余裕に溢れていた。自分も同様の笑顔で彼女に頭を下げた。
住民に共通しているのは“余裕”
この辺りの住民は、ベイエリアや武蔵小杉などのタワーマンション住民とは違う、独特の空気感があると綾乃は感じている。
洗練されている、地に足がついている、とでもいうのだろうか。
港区や渋谷区などの浮ついた雰囲気もない。だからといって成城や田園調布のようなお高くとまった雰囲気もない。地価が高いにもかかわらず、見栄で暮らす地域でもないので、地に足着いた富裕層が多い印象だ。
同じマンションのご近所さんは、会社経営者、政治家のご家族、高齢の資産家のご隠居、芸能関係の人もいれば、孝憲のような大手企業勤務の会社員もいる。
様々な種類の人が混在しているからなのか。似たような家族構成と所得者層がどんぐりの背比べでマウント合戦するような、下品な階級闘争とは無縁だ。
共通しているのは、多くの意味での、余裕である。
オフィスビルや学術機関などが立ち並ぶ無機質な街並みには見えるが、それぞれの空気感を漂わせた穏やかな時間が、暮らす住民の間には流れている。
親子レッスンの後は、恒例のランチ会へ
◆
毎週土曜日の午前中は4歳の娘、香那の知育教室がある。
「鈴木さん、もしよければ今日も私の家でランチでもいかがですか?」
「はい、ぜひ。お誘いありがとうございます」
親子レッスンの後は、同じ教室に通うママ友とのランチ会が恒例だ。旦那さんが外資系コンサルティングファームに勤務する森さんと、実家で赤坂の料亭を営む佐橋さん、大学病院医師の妻である高柳さんが主なメンバー。
先日の出勤の際にすれ違った藤堂さんは、彼女自身が多忙のことが多く、参加頻度は低い。だが、付き合いが悪いなどという陰口もない。余裕あるママ同士、お互いを尊重しあっているのだ。
確かめるまでもないハウスキーパーの存在
森さんの家は、オフィス街の中心にある高層タワーレジデンスの28階にある。綾乃の家と同じ程度の広さの似たような3LDKの間取りだが、きちんと掃除や整理整頓がされた空間は、その裏にハウスキーパーの存在を感じさせる自宅だ。
「みなさん、お年賀にロウリーズのクラシックセットもらっちゃったから、そちらでもいいかしら?」
「あら、ローストビーフを頂けるんですか?」
「もちろん!」
「良かった。私もお義母様から頂いたテーベッカライを持ってきたので、食後にどうぞ」
「嬉しい。私、大好きなんです~」
同じ価値観を持つ者同士で繰り広げる、等身大の会話に酔いしれる。
綾乃の居場所は、確実にそこにあった。
【#2へつづく:自身が勝ち組だと信じる綾乃が起こす、界隈間の歪み】
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