更新日:2024-01-26 06:00
投稿日:2024-01-26 06:00

何もあらたまっていない2024年の正月

 はいっ、新しい年が始まりました。みなさん、お正月は楽しく過ごせましたでしょうか。

 お正月の「正」の字には、「あらためる」という意味があります。年をあらためる月ということで、1年の始まりをそう呼ぶようになったのですね。

 …そんなことを無駄に調べるほどのんびりとした令和6年の正月、私の心は世の中の出来事とは遠く、年末から続く厭世観(えんせいかん)に捕らわれていた。

 何も“あらたまって”などいやしない。元旦から営業しているスタバでフラペチーノを啜り、本を読んだり書き物をしたりしてやり過ごす。

 日が暮れたらスーパー銭湯でサウナをキメて、回転寿司屋でぽん酢サワーでも飲むか。仕事で嫌なすり減り方をした心は、あれこれ褒美を与えても元には戻らない。

年賀状の裏面を占拠する「正」の文字

 ほろ酔いで帰ると、ポストに年賀状が数枚届いていた。私は年賀状を書かない。それでも書店員時代は仕事先に束で届いたものだが、今年の正月からは、そんなこともない。

 律儀に書いてくれる人には感謝すべきなのだが、裏面を眺めていると、どうも鬱々としてくる。迎春・賀正・正月。正正正。私はこの「正」というクソ面白みのない文字を見ると、実に嫌ぁな気持ちになるのだ。

 正の字は、画線法といって、線を引くことによって、その本数で数を表現する方法に使われる。江戸時代は玉の字を使っていたそうだが、今では正が一般的だ。

 ヨーロッパなどでは、縦線4本引いて、5本目は斜めに引く。つまり人間は、5という数字が何かを数えるときに便利なのだろう。

ストリップ劇場の入り口でも…

 ストリップ劇場の入り口で入場料を払うと、ラーメン屋で麺の硬さを確認するように、だいたい決まって聞かれることがある。

「今日、観に来た踊り子さんは?」

 踊り子になる前、まだお客だった頃の私は「硬めで!」と答えるように、迷わず踊り子の名前を告げていた。すると受付の人は、出演順に名前が並んだ表に、ピッと一本線を引く。

 学級委員の投票選挙みたいな方法で、正の字が作られているのだ。

無防備な「正」が生み出す無駄な疲弊感

 正の字は、お客に見せるようには書かれていない。だが、受付時に書き込むのだから、見ようと思わなくても目に入ってしまう。

「お、自分の推しがトップだな」

 そしてそれは、受付の前を通る踊り子も同様だ。

「私まだ0票だ」

 そうやって踊り子の成績は、無防備に晒され続けている。

 入り口でのアンケートについて、劇場側から説明されたことはないが、その結果が今後の仕事を左右することは、想像に難くない。

 私が経営者でも、踊り子の集客能力をリサーチすることくらいは、思いつく。だが、その結果をお客や踊り子自身が知る必要はない。

 それをチラ見せすることで、踊り子同士の競争心を煽る魂胆なら、実に短絡的だ。他人との比較でギスギスした状態を作り出すことは、結局無駄な蹴落とし合いを生み、業界自体を疲弊させ、腐らせていく。

 どんな職場でも、それは同じだろう。私をそんなくだらない諍(いさか)いに巻き込まないでほしい。

躍っている間の“ライバル”は床だけ

 正の字が踊り子の目に入らなくても、ステージに立てば、客席の様子でだいたいの予想はつく。

 見たことのない顔ばかり、または荷物を置いた座席が目立つとき、自分は間違いなくアウェイだ。

 しかし幸いなことに、ストリップは基本、ステージに踊り子がひとりきりだ。複数メンバーで構成されるアイドルグループや、ライブハウスに立つビジュアル系バンドを思えば、よっぽどぬるい。

 ファンによる人気投票が公開で行われ、それがステージの立ち位置まで決める。人気のメンバーの前だけが人だかりで、別のメンバーが前に立とうものならブーイングが起きる。

 だがストリップの場合、持ち時間の間は床だけがライバルだ。がっくりとうなだれて床に顔を向けるか、惰性でもステージに向けるか。

 なにも床に嫉妬することはあるまい。ストリップにおいてアウェイであることは、他者との比較ではなく観客席とステージの状態であるから、自分が精一杯頑張るしかない。

 私はそのシンプルさが好きなのだ。

見えない「正」の字が意味するもの

 三が日も過ぎた頃、そこそこ観たいバンドが複数出演するイベントがあり、気分転換も兼ねてライブハウスへ向かった。

 受付で「お目当てのアーティストさんは?」と聞かれる。どこかで聞いたようなフレーズ…と思いつつ、○○と○○と答えたら、どちらか一方にしてくれと言われ、しばし悩んだ。

 ストリップはただの人気投票だが、おそらくバンドは、その日の収入に関わる。それこそ正の字の数で、今日のギャラが決まるはずだ。

 1票が直接的で、責任が重い。元バンドマンとしては、どう考えても集客が厳しそうなバンドに票を投じざるを得ず、同じ熱量のもう1票は、仕方なく手放した。

 格子柄の床に、正の字が浮かび上がる。目に見えない正の字の棒は、こうしてたくさん転がっているのだろう。そのことに気付いたとき、ようやく私の正月が来た。

心に優しい妄想を膨らませ…

 正の字を忌々(ゆゆ)しく思うのではなく、心に優しい妄想を膨らませて、マイペースに己の道を突き進もう。正の字には、足がひとところを目指して、まっすぐ進むという意味がある。

 いい文字じゃないか、正の字。

新井見枝香
記事一覧
元書店員・エッセイスト・踊り子
1980年、東京都生まれ。書店員として文芸書の魅力を伝えるイベントを積極的に行い、芥川賞・直木賞と同日に発表される、一人選考の「新井賞」は読書家たちの注目の的に。著書に「本屋の新井」、「この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ」、「胃が合うふたり」(千早茜と共著)ほか。23年1月発売の新著「きれいな言葉より素直な叫び」は性の屈託が詰まった一冊。

XInstagram

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


暑さのせい? 身も心も全開な“たまたま”の声が聞こえてくる
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
話題の「完全栄養食」ってぶっちゃけどう? メリット&デメリットを解説
 近年、健康志向の人やダイエット中の人に話題となっている「完全栄養食」をご存知ですか? 現代人は忙しく時間がない人が多い...
亡くなったペットのお別れに注文増、大切な家族の供え花に必要な情報は?
 故人へのお供え花を作らせていただく花屋の感覚として、暑さ寒さが続く日や季節の大きな変わり目はお悔やみ花を作る機会が多い...
帰省中に岡山・蒜山高原でワーケーション 2023.8.15(火)
 この夏休みは、千葉から夫の実家のある岡山県に帰省しました。帰省中、パソコンを開きたかったのですが、夫の実家は人の出入り...
人じゃないモノたちで賑やかな街 2023.8.14(月)
 街に人が戻ってきた。大阪はこうでなくっちゃね。  でも、ココは誰もいなくても賑やかな街だ。  ちょっと見上...
「ジェンダーリビール」って知ってる? 大失敗した話&次はおにぎりで♡
 最近、世界の妊婦の間で流行っているのが「ジェンダーリビール」です。日本ではまだまだ聞き慣れない言葉ですよね。今回は「ジ...
「押すなよ、絶対押すなよ」ビーチボーイズ“たまたま”を激写
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
嫁の手作り料理をバカにし過ぎ!息子寵愛義母から来たムスコンLINE3選
「ムスコン」とは、息子から子離れできない親に対して使われる言葉だとか。特にムスコンの被害を受けやすいのが、お嫁さん。義母...
2023-08-13 06:00 ライフスタイル
親戚との会話に困ったら?「5つの話題」と相槌と“離れ技”で乗り切る戦法
 お正月やお盆の時期などに、頭を悩ませるのが親戚付き合いです。年に数回しか会わない親戚とは、何を話したらいいかわからず、...
動物&飼い主のほっこり癒し漫画/第55回「宅配トリモノチョウ」
 ベストセラー『ねことじいちゃん』の作者が描く話題作が、突然「コクハク」に登場! 生きものたち、その生きものたちをこよな...
たまごっちってうんち垂れ流ししないの!?「平成レトロ」なおもちゃの今
 最近ちまたで注目を集めている「平成レトロ」。平成レトロとは「平成を懐かしく想う文化的風潮」のこと。1989(平成元)年...
2023-08-12 06:00 ライフスタイル
もう義母になめられない! 帰省時に役立つ「良好関係キープ術」4つ
 結婚すると気になるのが、義母との関係。仲良くいられるかどうかで、結婚生活が大きく変わってしまいますよね。特に多いのが、...
嫌われ街道まっしぐら! 後輩・部下にやってはいけない4つのこと
「なんだか部下との関係が良くない気がする」「後輩に避けられているのはなんで?」と悩んでいる方必見! 今回は、職場の後輩や...
オトナになっても残る呪縛!「長女をやめたい」と感じた瞬間&苦労あるある
 姉妹(きょうだい)で何番目に生まれたかどうかは、その後の生き方に大きな影響を及ぼしますよね。それぞれの立場でメリット・...
雨上がりの公園、誰にも大切な時間がある 2023.8.11(金)
 おのおのが好きな姿勢で好きなように過ごす人とハト。  近すぎず、離れすぎず。ほどよい距離感ってある。  会...
ペットボトルの炭酸水で考えてみた 物の価格・人の価値は「環境」次第!
 みなさんは“自分の価値”について悩んだ時はありますか? 職業柄と性格のせいで、私はけっこう考え込んでしまうタイプなので...