【四ツ谷の女・大宮由香31歳 #3】
「毎日掃除してるのか? 小さい頃、お前は叱られても片付けなかったのにな」
「ハウスキーパーが来てくれているから」
「ハウスキーパーってお手伝いさん? いくらかかるの!?」
「別にいいでしょ」
父の正光はリビングに入るなり、食器棚に飾ってあったバカラのグラスを取り出して水道水をゴクゴク飲みだす。母の伸江は素足のまま、その価値も分からぬカッシーナのソファにゴロンと寝ころんだ。
「お茶菓子出すから、ちょっと待って」
「そんな気ぃ使うなって。武雄君もいないんだろ」
そう言って正光は大きく放屁をした。他人なら呆れるが、東京に出る20年前までは見慣れた光景だ。
由香は、大きなため息をついた。
武雄の両親ならば、現在二人きりで暮らす軽井沢でも、こんな行動はしていないだろうと思うと…。
品格はごまかせない
由香は、気づいてしまった。
どんなに頑張っても、自分のそれはハリボテであることを。
品の良さや洗練さを見よう見まねで真似して、子供にも十分な教育を与え、自分もその世界に追いついていたと思っていた。
だが、どんなに取り繕っていてもホンモノから見たらバレてしまう。
上流階級の女性の品、それは付け焼刃で得られるものではない。所詮、自分はどうあがいても地方の焼肉屋の娘なのだ。あの日、鈴華の母のほほ笑みを見て思い知った。
――「強いて言えば、負けず嫌いなところでしょうか」――
自らが蔑んでいる来良と似ている部分を、このように評された。
負けず嫌い、言い換えれば、嫉妬深くプライドだけが高い人間であるということだろう。由香が来良の悪口を吹き込んだ後に出たこの言葉は、醜いという指摘をオブラートに包んだ忠告だ。
丁寧な言葉の意味を察した時、世界の断絶を感じた。
彼女たちのような、親の代からお嬢様学校に通う子女や父兄は、嫉妬とは無縁の高みにいる。生まれながら心身ともに洗練された存在なのだと。
自然と黒い感情が沸き、虚栄心やマウントをとろうと心が動く時点で、余裕と品性がない下品な人間である、と言われているようだった。
気が乗らないまま、赤羽のサイゼリヤに
次の日曜、由香は来良と赤羽のサイゼリヤでランチをしていた。
お誘いは来良のほうから。近所のイオンでポケモンキャラのグリーティングが行われるから一緒にどうかとLINEがあったのだ。
正直、気が引けたが、誘いがあると話したときの葵の嬉しそうな笑顔に負けてしまった。
愛舞さんが自宅に来て以来、葵は彼女の好きなポケモンの情報を、タブレットの設定を変えるなどして、小さいなりに知恵を振り絞って仕入れているようだ。
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