M-1「錦鯉」優勝とは異なる意味を持つ
その時のコント師たちは「まあまあ、錦鯉は元々地下でもカリスマだったし、錦鯉になるなんて夢のまた夢だよ」という達観スタイルだった。しかし、今回はそうも言ってられない。
ハナコや霜降り明星が優勝して第7世代が台頭してきた頃は、ブレイクを夢見て下積みを続けてきた仲間のオジサン芸人たちが「もうこれくらいが潮時かな…」と見切りをつけて辞めていった。華とセンスがある若手芸人を目の当たりにして、何年やっても売れる気配のない現実を受け止められたのだろう。
仲間が去っていくときは何とも言えない悲しい気持ちで満たされたが、社会復帰していく人たちを引き留めるのも酷な気がした。日本社会全体で見たら「売れない芸人」とは名ばかりのフリーターより、真面目に働く正社員が増えた方が良いだろうし。
それなのにラブレターズやサルゴリラの鮮烈な優勝をみて、「諦めなければ自分たちも優勝できるかもしれない」という可能性を夢見てしまった。
それは甘美な夢だけれど、絶望的でもある。また一年売れない芸人生活を過ごしてしまうことになり、再就職の機会を逃し、社会に帰るのが遅くなるからだ。
夢を見続けるのは「いばらの道」か
そもそも下積みを長く積んだ芸人にとって、「芸人を辞める」という決断はとてもつらい。
夢を諦めることに対する拒否感はもちろんあるが、「人前でネタをやってウケる」という現象が非常に中毒性が高いからだ。日常生活であの幸福感は味わえない。それを長年経験してしまうと、社会復帰が遅れてしまう。
だからこそ、お笑いを辞めたくないから、辞めなくていい理由やモチベーションを探しながら芸人生活を続けている。その辞めなくていい理由に「ラブレターズの優勝」が関わってきてしまうのだ。
賞レースは芸人たちに夢を与える存在である。しかし、その夢を与えた結果、またいばらの道を歩かされる芸人もいるのは事実だ。
それでも、僕は夢がある人生は不幸ではないと思う。何かをきっかけに、自分がずっと憧れていた場所に手が届く瞬間を夢見て努力することは、正直何ものにも代えがたいくらい楽しいからだ。
だからこそ言う。「ラブレターズの優勝は、僕たちオジサン芸人に夢を与える素晴らしいものでした」。
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