彼の死をきっかけに集う、かつての仲間たち
故人の住所は世田谷区だった。あの頃、死んでも赤羽を離れないって言っていたクセに、彼は赤羽からはるかな場所で死んでしまった。
ふと、スマホに2件の留守電があったことに気づく。おそらく同じタイミングでハガキが来たのだろう。こちらも20年近く会っていない大学時代の友人たちだった。
『ハガキ、来た?』
探るような問いかけをしてきたのは、美鈴だ。彼女は、私の記憶から状況が更新されていなければ、2人の子持ちの専業主婦。
『壮一の訃報のハガキを見ました。大学の仲間で線香をあげに行きませんか?』
具体的に簡潔な連絡だったのは、詩織。彼女は大企業に就職したことをきっかけに、連絡はとっていない。
百恵はSMSで返答をし、さっそくLINEグループを作った。子どものアイコンとビールのアイコン、名乗らずともどれがどっちだか把握できるのが可笑しかった。
20年ぶりの友達にどう映っているのだろう?
その日は、雨の代田橋駅で、待ち合わせをすることになった。
比較的落ち着いた色のセットアップで百恵は時間から少し遅れて現れると、喪服のふたりが駅に立っていた。
「やっときた」
「いつぶりだっけ?」
「20年くらい?」
「相変わらずだね」と、詩織が言った。百恵はその言葉が自分が喪服ではないことの指摘だと察したが、嫌な気分はしなかった。かつての彼女なら、会うなり嫌味を言っていたはずだから。
20年の成長を実感する。
美鈴もそう。笑顔で出迎えてくれた時の、目尻に刻まれた皺やほうれい線の濃さが、空白だった時間を感じさせる。
私はどう彼女たちに映っているのだろう?
時間と環境が作った薄い壁を感じながら、私たちは訃報に記載の住所へと足を運んだ。
【#2へつづく:48歳、乳がん検診の「要精密検査」に衝撃。独居暮らし男の孤独死に重なる…誰にも看取られない恐怖】
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