三谷幸喜がスポーツ強豪校だった世田谷学園を選んだワケ 4年前に理系コースを新設した進学校
【あの有名人の意外な学歴】番外編
三谷幸喜(脚本家/64歳)
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「少子化が進み、多くの中高一貫校が苦境におちいる中、逆に伸びている学校もある。その代表格が私立男子校の世田谷学園」と話すのは大手学習塾の幹部。4年前に理系コースを新設し、躍進の原動力になっている。
「高校ならともかく、中学から理系に特化したクラスを設けたのがミソ。特に子どもを医学部に入れたいという家庭から注目を集めています。世田谷区という場所柄、裕福な層が多いのもプラスに働いている」(同)
受験界では新興進学校の位置付けだが、かつてはスポーツ強豪校として知られていた。とりわけ有名なのは柔道だ。古賀稔彦、吉田秀彦、滝本誠、大野将平と4人もの五輪金メダリストを送り出している。進学校となる前のこうした時代にはスポーツとは別の大物も輩出。その一人がエンターテインメントの世界で活躍する三谷幸喜(64)だ。今年は主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」を30年ぶりに復活させ、「蒙古が襲来」を上演。話題を呼んだ。
小学校と中学は地元・世田谷区の公立。10歳の時に実業家の父を亡くすが、母、祖父母、叔父、叔母らに囲まれ、にぎやかな環境で育った。小学生の幸喜少年はすでに天才の片鱗を見せ始めている。母・直江さんの誕生日に人形劇を披露。部屋いっぱいに人形を配置し、工夫を凝らした照明や音楽をバックに物語を展開する大作だった。
小学4年の時、母と2人で半月間、欧州旅行。チャップリンの家やシャーロック・ホームズの下宿のモデルとなった場所を訪ねた。三谷の自著「仕事、三谷幸喜の」(KADOKAWA)に寄稿した直江さんは「地図も経路も全部自分で調べて連れていってくれた」と明かしている。プロデュース能力の高さはこの頃にもう備わっていたのだ。小遣いも正月に1年分をまとめて渡していたという。
世田谷学園高校への受験も全部、自分で決めた。母は一切、口を出さなかった。高校時代は映画を撮るのに熱中。ミステリー物がほとんどだった。喜劇に傾倒するのは日大芸術学部演劇学科に入ってから。
「面白いヤツがいると早くから評判になっていた」と振り返るのは日大の元教授。三谷に限らず、日芸演劇学科には才能あふれる人材がそろっていた。三谷の3年後輩には爆笑問題の太田光と田中裕二の2人がいた。何より驚くのは元キャンディーズで水谷豊夫人の伊藤蘭が在学していたことだ。日大第二高校から演劇学科に入学したのは73年。しかし、江古田キャンパスに顔を見せることはほとんどなかった。それまでアシスタント的な仕事が多かったキャンディーズだが、その年の9月に歌手デビュー。一気に忙しくなり結局、大学は中退した。
伊藤の7年後輩ということになる三谷は在学中に東京サンシャインボーイズを旗揚げ。当初は客が入らず赤字続きだった。劇場代を借りようと母・直江さんに泣きついたが、右から左にカネを渡すようなことはなかった。代わりに、本人名義で銀行から借りる算段をつけるのを手助けしただけだった。母の甘やかさない教育が希代の喜劇人をよりたくましくしていったのである。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
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