杉田かおるが財閥創業者の孫との離婚で語ったこと
【城下尊之 芸能界ぶっちゃけトーク】
前回のこのコラムで久々に姿を見た女優の杉田かおる(60)について書かせてもらった。
15歳の時に「3年B組金八先生」で妊娠・出産する中学生を演じ、その取材で“女優魂”を感じたと伝えたが、その後、バラエティー番組でも活躍した。彼女にバラエティーのトーク術を指南したのが、日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の菅賢治プロデューサーで、話は短く、要らない部分ははしょって「オチ」をオーバーに話すように教えられたという。
杉田がある時、ワイドショーのゲスト出演で15分間のトークコーナーに出た。事前に話の内容と流れを入念に打ち合わせしたそうだが、当日になって担当ディレクターが2分半ほどの内容を「わかりにくいから」とカットするよう提案してきたという。
15分もあるので「適当に他の部分を引き延ばしましょう」と言うディレクターに杉田は激怒した。「あなたねぇ、テレビのバラエティーで2分もたせるというのは大変なことなのよ」と言いつつ、慌てて新しい内容を考え、キャスターの質問まで自分で作ったそうだ。バラエティー番組だと甘くみてしまう人もいるだろうが、発言が外に出る以上、真剣勝負の毎日だったのだ。
僕がその彼女を一番取材したのは、結婚と離婚の時だった。彼女は2005年に日本有数の自動車メーカーを含む財閥創業者の孫と結婚したが、すぐに離婚の話が持ち上がる。玉のこしに乗ったはずの彼女がなぜ? マスコミ各社が追っかけたが、杉田はスケジュールをつかませないようにして正式離婚するまで逃げ続けた。
僕は昔からの付き合いで杉田の携帯電話番号を知っていて、電話で話すことはできた。今だから言えるが、結婚するとすぐに新婚の夫が杉田に莫大な債務の保証人になるよう頼み込んできたという。彼女は「おかしい」と思い、マネジャーの妹を社長にした会社を設立し、資産を全部そちらに移したという。すると、怒った夫から離婚という言葉が出てきたそうだ。
僕は、この話に関してはオープンにできなかったが、本人の許可を得た上で、言える範囲でテレビで伝えた。
それを見ていたライバルのワイドショーは、撮影なしでもいいから話を聞かせてくれと社長でマネジャーの妹に交渉したそうだ。だが、妹さんは「城下という人は杉田が中学生の頃から知っているし、私も小学生の頃に(家族と)一緒に食事したこともあるから断れなかった。あなた方は知らない人なので無理」と断ったそうだ。
僕は独占スクープでありがたかったが、杉田にしてみればメディアに出る限りは真剣勝負。理解してくれる相手でなければ話せないのだろう。
そして、この騒動の時に、あの舘ひろしが関わってきた……。
(城下尊之/芸能ジャーナリスト)
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