郷ひろみは日大桜丘高校野球部でプロを目指すも堀越高校へ転校、ジャニー喜多川氏の手製弁当が…
【続・あの有名人の意外な学歴 】#10
郷ひろみ(歌手)
◇ ◇ ◇
「今なお、まぎれもないスターだが、あの騒動がなければ、もっと大きな存在になっていた」
民放で歌番組を担当していた元ディレクターがこう語るのは今月18日に70歳の誕生日を迎えた郷ひろみについて。騒動とは旧ジャニーズ事務所からの独立である。1975年4月、現在も所属するバーニングプロダクションに移籍した。70年代からジャニーズを取材してきたベテラン記者によると「ジャニー喜多川社長の寵愛が過剰になり、郷が耐えられなくなった」のが原因だという。
「当時はまだジャニーズ事務所の規模は小さく、テレビ界への影響は限定的だった。その後、事務所が巨大化していくにつれ、ジャニーズ所属のタレントが出演している時に郷を使いづらくなっていった。それで彼はずいぶん損をしているんです」(元ディレクター)
福岡県生まれの郷が東京に出てきたのは4歳の時。国鉄(現JR)職員の父が転勤したからだ。一家は品川区の国鉄の社宅で暮らし始めた。小学校と中学は地元の公立に通った。芸能界入りのきっかけは日大桜丘高校への入学が決まったばかりの時だった。知り合いが勝手に映画「潮騒」(71年9月公開)のオーディションに応募。郷は選ばれなかったが、会場に来ていたジャニー氏からスカウトされたのである。
芸能界にまったく興味がなかった郷は高校に通いだすとすぐに野球部に入部。プロ野球選手になるのが夢だった。だが、外堀がどんどん埋められていく。すっかり郷に惚れ込んだジャニー氏はNHKから大河ドラマの仕事を取ってきてしまうのである。俳優は未経験でズブの素人ながら、平清盛の弟という大役だった。「これから忙しくなるから」と高1の2学期から堀越高校芸能コース(現トレイトコース)に転校させられた。
「堀越とジャニーズの関係はフォーリーブス(北公次を除く3人)を受け入れてから。彼らのマネジャー役を務めていたメリー喜多川さんから要請されたと聞いている。その後、芸能コースがつくられるんです」(同校の元教師)
ジャニー氏は堀越に通う郷のためにかいがいしく弁当を作ったという。こうした愛情が郷には徐々に負担になっていく。だが、事務所を飛び出した理由はそれだけではないとベテラン記者。
「郷は大学進学志向が強かった。一方、当時のジャニーさんは大学に行く必要はないという考え。このままではジャニーさんのロボットにさせられてしまうと不満が募っていったのだろう」
4年かけて75年7月に堀越を卒業。翌年、青山学院大法学部を受験したが不合格だった。そこからさらに1浪して日大法学部に合格した。「ジャニーズ事務所が次のスターを生み出せていない時期で、バッティングすることもなかったので、気兼ねなく郷を使えた」と前出の元ディレクターは振り返る。郷はほとんど大学に通えず、入学から1年もたたないうちに中退を余儀なくされている。
(田中幾太郎/ジャーナリスト)
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