私は子供部屋おばさん?彼氏ナシ・非正規でもシフォンケーキで満ちる日常

ミドリマチ 作家・ライター
更新日:2024-02-10 06:00
投稿日:2024-02-10 06:00

【西荻窪の女・土井かおり36歳 #1】

 工場内に終業のチャイムが鳴った。

 機械の停止音とともに「お疲れさまでした」が飛び交う。

 同じロゴの入った作業ジャンパーを着た群れの中に、土井かおりの姿はあった。

 36歳、独身、実家暮らしで彼氏はなし。

 勤務は月曜から金曜の9時から17時まで。時給は東京都最低賃金の1113円。西荻窪と上井草のちょうど中間あたりの小さな印刷工場内の作業場で、ダイレクトメールや請求書などの印刷や封入封緘をするのが主な仕事だ。

 10年以上、毎日同じようなことの繰り返し。

 だが、特段不満はない。

 業務も手慣れており、同じパートタイムの同僚とは家族のような関係性、金銭的にも贅沢をしなければ事足りているから。

5歳年下の男から漏れ出る偏見

「土井さん、30分ほど残業できます?」

 かおりが手洗いから出てロッカーに向かおうとした時、社員の男・宮本に呼び止められた。

「いいですが…他の人は?」

「頼めるのは土井さんだけなんですって。時間、ありますよね」

 かおりは一旦承諾したことを後悔した。

 この5歳年下の男から漏れ出る、自分に対する偏見を察したから。おそらく独身で恋人もいない実家暮らしの自分を、『無趣味でヒマを持て余す子供部屋おばさん』と勝手にカテゴライズしているのだろう、と。

 自分を除いたほとんどが主婦パートであるこの職場。声をかけられるのは仕方ないことかもしれないが…。

 しかし、近頃何かと入用だったため、僅かながらも臨時収入は魅力的であった。

「わかりました」

 かおりは一旦脱いだジャンパーを渋々羽織るのだった。

平坦な毎日の中の宝箱のような時間

「ふぅ…」 

 仕事を終え工場の自転車置き場でスマホの時計を見ると、18時を少し過ぎたあたりだった。

 ――今日は“珈琲芳村”の新作シフォンをチェックしに行く予定だったのに…。

“珈琲芳村”は、西荻窪駅北口から徒歩5分くらいにある、初老の女性店主が営む喫茶店。こだわりのコーヒーと季節のスイーツが名物で、かおりは昔から通っている。

 かおりの趣味はシフォンケーキの食べ歩き。

 大好きなシフォンとともに古本屋で買ったミステリーを楽しむ。それはかおりにとって平坦な毎日の中にある宝箱のような時間である。

 店のラストオーダーは18時半である。急げば間に合う時刻だった。

 ――まあいいか。昨日届いたお取り寄せのシフォンがあるし…。

 好きなことだからこそ、ミッションのようにこなさないのが美学。

 暗い夜道の中、ともしびのような小さな楽しみに向かって、かおりは帰路を急いだ。

ミドリマチ
記事一覧
作家・ライター
静岡県生まれ。大手損害保険会社勤務を経て作家業に転身。女子SPA!、文春オンライン、東京カレンダーwebなどに小説や記事を寄稿する。
好きな作家は林真理子、西村賢太、花村萬月など。休日は中央線沿線を徘徊している。

関連キーワード

ライフスタイル 新着一覧


こんな時代だから「初心者向けの一人旅」メリット&楽しみ方
 気ままで自由な一人旅。憧れますよね! でも、実際には「会話する相手がいなくて寂しそう」「勇気がない」「一人だと不安」な...
チビッ子“たまたま”とピンク肉球のマリアージュにメロメロ♡
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
作り笑い以前に“笑顔が苦手な人”の原因と対策 どう接する?
 仕事やプライベートで人と接する時、なかなか笑顔を見せてくれない人がいると「嫌われているのかな?」と不安になってしまう時...
都会の雑踏で聞こえた地元の方言 2022.10.23(日)
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
大凶作のドラフト会議でイケメン“ザックザック大豊作”のなぜ
 今年のプロ野球ドラフト会議は空前の大凶作といわれていた。目玉となる選手はゼロで、多くの球団が争奪戦を繰り広げるようなス...
2022-10-22 06:00 ライフスタイル
「やりすぎ時短LINE」BBQの役割分担までエクセルにするの?
 忙しい社会人で時短術を活用している人はたくさんいますよね! でも、何事もハマりすぎは良くないようです。今回は、時短術に...
パワハラ虫に遭遇、最悪!でも「したたかな準備」で反撃可能
 仕事でもプライベートでも、パワハラ気味な人に遭遇してしまうと最悪ですよね。  災難だと思って諦めることもできますが、...
ヘアサロンから濡れ髪のまま飛び出てくる女、になった。
 書店員として本を売りながら、踊り子として舞台に立つ。エッセイも書く。“三足の草鞋をガチで履く”新井見枝香さんの月イチ連...
【ドンキ】エモい「情熱価格」激旨1位は… 2022.10.20(木)
 みなさん、ドン・キホーテは好きですか? 筆者は大好きです。右を向いても左を向いても物価高なこのご時世、「驚安の殿堂」っ...
本当の友情ですか? 同性の友達の束縛がつらいと思ったら…
 同性の友達に「束縛されてる」と感じたことはありませんか? その子との予定を最優先させられたり、あなたに彼氏ができると機...
まるでぬいぐるみ!モッフモフ高密度“たまたま”にキュン♡
「にゃんたま」とは、猫の陰嚢のこと。神の作った最高傑作! 去勢前のもふもふ・カワイイ・ちょっとはずかしな“たまたま”を見...
友達ってなんだろう 2022.10.19(水)
 北海道で暮らす、まん丸で真っ白な小さな鳥「シマエナガちゃん」。動物写真家の小原玲さんが撮影した可愛くて凛々しいシマエナ...
何コレ!? 天然の「旅人の木」はコバルトブルーの種がヤバい
 ある冬の日のお話しでございます。  猫店長「さぶ」率いる我がお花屋さんに、ややご年配の、でもやたらと威勢の良い殿...
アラフォーが「テヘッ」はねぇ…今どきの「痛い女あるある」
「いい年してそれは痛いでしょ」と思える言動をする女性、あなたの周囲にいませんか? 若い頃は「かわいい」と言われた行動も、...
服が捨てられない!片付け下手に神グッズ 2022.10.18(火)
「1枚服を買ったら1枚は捨てる」「触ってみて心がときめくか」「お店のように美しく飾る」などなど、クローゼットを整えるメソ...